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牧師のこーひーぶれいく

ぶどうの思い出
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     小学一年生の夏休み、私は心の底から「バカヤロー」と叫んで、母からひどく叱られたことがありました。その理由は、ぶどう三粒でした。もう60年以上も前、しかも青森県の三本木市(現在の十和田市)に住んで数ヶ月経った頃の事です。当時の三本木教会は、会堂と牧師館がL字型になっていて、その内側の建物に囲われた部分は庭でした。最初の年は、そこには様々な理由(経済的?)から、生け花に使われる花が植えられていました。

     

     そのL字型の庭の一番隅っこ、近所の人が通る小道の手前に、ブドウの老木があり三粒のぶどうがなりました。私は、毎日食べ頃をチェックし楽しみにしていました。いよいよ明日は食べようと心に決めて縁側から家に入ったとき、黒い影がスーッとぶどうの木に近づいて走って逃げていきました。やられた、と悟った私は、その陰に向かって私は「バカヤロー」と叫んだのです。次の年から、その庭は父の家庭菜園に使われました。

     

     いま、私たちの教会にはぶどうの木があります。すでに植えられてから10年が経ちました。何度も枯れかかって皆はあきらめたのですが、農夫役のTさんは、あきらめずに手入れをしてこられました。今年の春は、まったく芽が出ずに、いよいよダメかと思ったのですが、春の終わり頃から芽が出て、数房(房とは言えないモノもありますが)の結実を見ています。そのうちの一房は、売り物にもなりそうな(小ぶりですが)立派な房になっていました。

     

     そろそろ収穫をしなければ、と思っていた矢先、先日、その房だけが食べられていました。鳥なのか、近所の子どもなのか、誰かは分かりませんが、ガッカリしました。でも食べた人は、一粒だけと思って口にしたら美味しくて止められなかったのだろう、と食べた人の気持ちを思いやりました。60年以上も前のように、心からバカヤローと叫ばなかった自分に、少しは成長したのかな、とまんざらでもない気持ちでした。

    | - | 20:38 | comments(0) | - | - | - |
    Being と Doing
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       「Being と Doing」の違いは、信仰生活のあり方についての基本的な考え方として強調されています。神様に対する信仰で大切なのは、何をどれだけしたか(Doing)ではなく、どういう心のあり方か(Being)だということです。何度も何度も強調されているので、良く分かっているつもりです。でも、頭では分かっていて口では言えたとしても、イザ実践となると、つい「Doing」に軸足が置かれている自分に気が付かされます。

       

       思いがけない試練や困難に直面すると、つい「自分が何か神様の御心にふさわしくないことをしてしまったので、神様からお叱りを受けているのではないか」と考えてしまいやすいのです。これも、ある意味では「Doing」を基準にした信仰の考え方と言えるのではないかと思います。また、祈りでも、なかなか答えが与えられないと、神様から願っているような答えをいただくために自分は何をしたら良いか、と「Doing」を改めることで解決を得ようとしてしまいます。

       

       いま我が家には三人の孫娘が一緒に過ごしています。もう一人の孫は、受験生で来られないのが残念ですが、毎日楽しく過ごしています。さすがに古希を越えた身では、一緒に遊ぶことも難しくなっています。先日、ショッピングセンターに出かけた時、二手に分かれて買い物をするというので、私は上二人と行動を共にしました。先を歩く二人が、時々後を付いていく私を振り返ってスピードを緩めてくれる姿を見て、自分の老いを実感させられました。

       

       仕方なく、私は二人が買い物をしている姿が見える所で椅子に腰を下ろして見守ることにしました。何が楽しいのか、二人でうれしそうに顔を見合わせながら小一時間を過ごしました。その二人の姿を眺めながら、もう一つの「Being」について教えられました。何をする(Doing)以上に、だれと一緒にいる(Being)かが喜びのヒケツだと言うことです。イエス様は、私たちと共にいてくださる良き友です。何かをして頂く以上に、常に共にいてくださる主を心から喜んで過ごしたいと思います。

      | - | 20:33 | comments(0) | - | - | - |
      長岡花火
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         一昨日と昨日は、今や全国的に有名になった長岡花火がありました。二日間で100万人を超える観衆が集まるとか言われていました。たまたま2日のお昼頃に所用があって外出して、その予測の数字が大げさでないことを目の当たりにしました。花火会場の中心地に近い道路を走ったのですが、見たこともない群衆の行列がゾロゾロと長岡駅の方から詰めかけてきていました。気温は35度を超えていたと思います。

         

         その気温以上の熱気を感じる人・人・人の波でした。まだ花火が打ち上がるまで7時間もあるというのに…です。そのほとんどは、河川敷の無料観覧席の場所取りの人たちのようです。それぞれにシートや乗り物食べ物を手にして、黙々と川原を目指していました。私は、長岡に住み始めて60年ですが、初めて見る光景でした。話には聞いていましたが、今までは、花火会場には近づかないようにしていたからです。

         

         私はなぜか花火には余り興味がありません。観覧席に行って花火見物をしたことはありません。子どもの頃は、古い日本家屋の教会でしたので、その屋根に上って遠くから花火を観ていました。今は、三階のベランダから、花火と音が数秒ズレますが良く見えます。でも、その「プライベート観覧席」の恩恵もあまり利用せず、ヒッソリと花火の時期をやり過ごしています。花火好きの人からしたら、もったいないと言われそうです。

         

         でも、そんな私でも花火に感謝しています。それは、遠隔地の兄姉方が、この時期に帰省して集会に出席してくださるからです。今日も、昨日まで実家などで花火を見物した方々が礼拝に出席してくださいました。今月の第一聖日でしたので、シングスピレーションがありました。今日はJ-Praiseの方々が担当してくださり、若い方々にも身近に感じる賛美の時だったと思います。感謝と共に礼拝を越え、また来年の長岡花火を楽しみにしたいと思います。

        | - | 21:23 | comments(0) | - | - | - |
        三角ベース
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           先日、たまたま付けたテレビで「三角ベース」の場面がありました。「大草原の小さな家」の一場面で、ローラたち女の子が「三角ベース」をしていたのです。正式な野球は、本塁と一塁二塁三塁と、ベースは四角の形に置かれます。でも、遊ぶ人数が少ない場合に、二塁を抜いて、一塁と三塁だけで、本塁と合わせてベースは「三角形」に置かれるので「三角ベース」と言います。私も子どもの頃、良く「三角ベース」野球をして遊びました。

           

           そのテレビの三角ベースは、さらに人数が足りないために、キャッチャーは攻撃側のチームから出すとも言われていました。私たちも、良くそうしていたのでとてもなつかしく見ていました。私たちの頃は、もっと人数が少なくなると「三角」も作れずに、一塁と本塁だけの野球をしていました。その時は、フェアゾーンをどこに決めるかも大切でした。何しろ、一塁しかないのですから。それでも私たちは思いっきり「野球」を楽しんでいました。

           

           しばらく前から、日本社会は「少子高齢化」だと言われていました。今は、それが現実になって来て、徐々に様々な影響が出始めているようです。社会だけでなく、教会にもその影響が及んでいると思います。特に地方の教会では、まさに「少子高齢化」と言われるような状況でしょう。活発な宣教活動を願っても、そもそも人数が足りなかったり、人数がいてもご高齢の方々か多く、実際に活発な活動を断念しなければならないような状況です。

           

           野球で言えば、チームの人数が足りず、ベースを三角にしたり、キャッチャーを相手チームから出して助けてもらったり、さらには本塁と一塁だけの野球をしているようなものです。都会の教会の多くは、まるで、本場アメリカのメジャーリーグのような活発で魅力的な活動をしているように見えます。それと比べて地方の私たちは、同じ野球には見えないかも知れません。でも、地方でも、一生懸命に楽しく「三角ベース」をしていこうと思っています。

          | - | 20:55 | comments(0) | - | - | - |
          チキン・トマト・スープカレー
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             先週の月曜日に母の告別式が執り行われました。と言っても、息子である私の司式で執り行ったのですが・・・。数年前、何かの折に姉と話し合って、母の葬儀は、どなたか他の牧師にお願いしないで私が司式をすることで良いね、ということになっていました。ただ、それからも母は元気で、ついに100歳を超え、今年は101歳になりました。まだまだ元気で、どこも悪いところがなく、まだまだ長生きするように感じていました。

             

             それが、家内の母の告別式を執り行った三日後の金曜日に、風邪で具合が悪くなったと施設から連絡が入りました。すぐに母の所に行くと、横になって胸を押さえていました。でも、かかりつけの医師から風邪薬が出ているのですぐに回復すると思っていました。ところが、その日の夕方には救急車で総合病院に行くことになり、そのまま入院となりました。検査の結果などから、医師は、いつ急変してもおかしくない、と言われました。

             

             それから毎日早朝から一日に何度も病院に通いました。聖日の早朝も病院に行き、医師からは今日保つかどうかと言われながら、礼拝のために帰って来ました。教会員の方々には医師からの言葉を伝えてお祈りをお願いしました。それから主の御許に召された土曜日の未明までの数日間、病室で脈拍などの機器の数字に一喜一憂する緊張感一杯の日々でした。頭の中では、もし今日召されたら葬儀の日程はどうなるか、ということを思い巡らしていました。

             

             そして、土曜日の未明(午前三時過ぎ)に主の御許に召されました。明くる日の聖日礼拝に来られた一人の信徒の方(男性)が、小さな器を家内に手渡してくださいました。料理をするヒマなどないだろうから、と手作りの「チキン・トマト・スープカレー」を持ってきてくださったのです。その細やかで温かい配慮に大いに励まされました。その聖日の夕食は、ピリリと辛みの効いた美味しいカレーを頂き、その後の慌ただしい日々を乗り越えることが出来ました。

            | - | 20:59 | comments(0) | - | - | - |