今日は、「任期最終礼拝」でした。と言い方も、最近は少し大げさに響くように感じます。最近は、転任の場合は年末頃に内示があるようです。でも、以前は年会に召集されるとき、次の年の任地は「ホントに」分からず、牧師は緊張して年会に出席したものです。現に、年会後に遊園地に行こうと打合せをしていた友人の牧師が、年会最終日の任命式で、まさかの転任になって遊園地がドタキャンになったことがありました。
長岡教会の方々も年会に出席する私を送り出す時、年会でどのような任命を受けるかドキドキしていますと話しておられました。もしかしたら、内心はワクワクしていたのかも知れません。何年かすると、教会員の方々の緊張感もなくなってきて、ニコニコしながら年会へ送り出してくださるようになりました。でも、年会に出かける私は牧師として慣れないように心がけていました。そして、任命式には主から新しく任命を受けるという緊張感で臨んでいました。
転任は、特に以前のように急な転任は、任命を受ける牧師以上に牧師家族、特に子どもたちに大きな影響を与えるものです。それまで仲良くしていた友だちと突然に別れることになるのです。その悲しみが心にうずいている間に見知らぬ(望まぬ?)新しい地で新しい人間関係を築かなければならないのです。幼少期の心に与える影響は、測り知れないものがあるはずです。いろいろな考え方があるとは思いますが、転任の内示は必要と思います。
年会を前にしてまだ内示を受けていない私は、多分転任はないと思います。でも、年会に出席する心構えとしては、今までの任命から解かれて主の前に集い、主からの新しい任命を受けるという厳粛な思いを大切にしたいと思っています。こういう「一区切り」はとても大切です。主の前に出て自分の至らなかったことを反省する時となるからです。そして、新しく任命を受けるために今までの全てを主の前に手放す信仰が点検させられるのです。その意味で、年会が初心に返る時となることを願っています。