RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

03
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

牧師のこーひーぶれいく

29日の礼拝について
0

    29日も、礼拝時間を短縮して開催を予定しています。ニュースなどで言われている「密閉・密集・密接」を避けるよう心がけています。でも、少しでも体調がすぐれない方や、自粛する方は、ご自宅でマルコ10章17〜27節をお読みください。早くウィルスが収束するように、心を合わせてお祈りください。

    | - | 09:18 | comments(0) | - | - | - |
    パンくず
    0

       昨日の土曜日に新型肺炎ウィルスの感染者が長岡にも一人出ました。テレビなどのニュースでは詳しいことが全く分からず、どう対処して良いか迷い不安だけが一杯でした。でも、知人からの情報で、距離的には遠くはない(小さな町ですので、その勤め先は誰もが分かる所)が私たちの生活圏とは一致しない人のようなので、とりあえずは今日も礼拝だけを守りました。本当に日本のニュースは、私たちが知りたいことを何も伝えずに肝心なことを隠しているものと失望しました。

       

       ヒタヒタとウィルスの脅威が迫っている中で、今後の教会活動をどうすべきか日々案じています。そのような中でドイツのメルケル首相が国民向けに語った演説を読みました。実に誠実に国民に対して、一致団結してウィルスの感染拡大に立ち向かって行こうとの演説に感動しました。今後の教会活動の基本方針は、その演説を参考にしようと教会員に伝えました。想定していた以上に多くの方が興味を示して、その資料を手にされました。

       

       そのような中での今日の礼拝は、51分間という最短時間でした。その短い時間で終了できた一番の貢献者は今日の司会者だということで多くの方の意見が一致しました。私も説教者として少しは貢献したと思うのですが・・・。今日は、マルコ7章の「パンくず」という言葉に心を留めました。娘が汚れた霊につかれているという私たちの想像を絶する苦悩の中にいた母親が、イエス様の所に来て必死に助けを求めた時に口にした言葉です。

       

       私は今まで、その「パンくず」を、イエス様との関係で理解していました。イエス様の「愛と恵みに満ちた力」のホンのおこぼれという意味の「パンくず」です。でも、今回私は母親が自分の置かれている立場を言い表す意味で口にしたと教えられました。本来なら主のあわれみと恵みに与る資格がない自分を正直に認めている言葉として。でも、その所から大胆にイエス様の愛とあわれみを求めたのです。だからイエス様はその信仰を喜んでくださいました。信仰者として何年経ったとしても、自分を「パンくず」の立場に置きながら、ただ主の愛とあわれみにすがり続ける信仰、イエス様が喜んでくださる信仰者でありたいと願います。

      | - | 15:48 | comments(0) | - | - | - |
      恐れないで、ただ信じていなさい。
      0

         新型ウィルスの対応に悩まされながら迎えた聖日でした。感染防止のために気をつけるべきこととして今日も換気扇を4基作動させながら礼拝を守りました。幸いにも、長岡教会はゆったりとしていますので、出席された方々が肩を寄せ合うように密着することもありません。あとは、礼拝時間を出来るだけ短縮することです。今日も、一時間ギリギリで終えることが出来ました。本当は、もう少し短縮したかったのですが。

         

         未知のウィルスに対する不安から、社会全体が大混乱に陥っています。いつもの当たり前の生活が失われてしまいました。いまだにどこに行ってもマスクは売り切れのままで手に入りません。イエス様がたとえ話で語られた、砂の上に家を建てた人を思い起こしています。何事もないときには全てが順調で幸せそのもののように見えていたのに、嵐に襲われたトタンに全てが崩壊してしまったのです。今の日本の姿とだぶって仕方ありません。

         

         そのようなことを心に思い巡らしながら、今日の礼拝ではマルコ5章の「ヤイロの娘のいやし」のエピソードを開きました。ヤイロの娘の死を伝えに来た人の「これ以上、先生を煩わすことがあるでしょうか。」という言葉が心に響く箇所です。でも、今回は、イエス様の「その子は死んだのではありません。眠っているのです。」という言葉と、それに対して人々があざ笑ったという所が深く心に止まりました。

         

         ヤイロの深い悲しみを同情している人々は、イエス様に対して「あなたがもっと早く来てくだされば良かったのに。あなたは私たちのことが分かってない。」という意味をこめてあざ笑ったのではないでしょうか。でも、分かっていなかったのは人々の方でした。イエス様は、私たちがどんなに深い悲しみの中にあっても、そこを恵みの機会とすることが出来る方なのです。今回のウィルス騒動の中でも、「恐れないで、ただ信じていなさい。」との言葉に希望を抱いて行きたいと思います。

        | - | 20:48 | comments(0) | - | - | - |
        3月15日の礼拝について
        0

          3月15日の礼拝は、10時15分から時間を短縮して行います。体調の悪い方や風邪気味の方は、決してご無理なさらずお休みください。来会される方は、会堂に入る前に、アルコール消毒をお願いします。

          | - | 19:50 | comments(0) | - | - | - |
          良い知らせ
          0

             新型ウィルスに対する不安が社会全体に影響を与えている中で持たれた礼拝です。教会としても出来る範囲で対応しました。体調が悪い方は無理をしないようにお願いし、入り口ではアルコール消毒で手を消毒して頂き、会堂の換気扇を4基フル稼働させました。そして、礼拝時間をいつもより短縮することにしました。礼拝の中で、改めてウィルス対策を詳しく説明する時間を取りましたが、それでも今日の礼拝時間は「59分間」でした。

             

             今日の聖書箇所は、マルコ2章1〜12節でした。身体の不自由な方を屋根に穴を開けて吊り下ろしたという驚くべき光景が描かれている箇所です。この箇所から、イエス様が私たちに伝えようとしている「良い知らせ・福音」に心を向けました。今は日本全国のみならず全世界で「悪い知らせ」に恐れおののいている時です。そのような時だからこそ、良い知らせを高らかに宣べ伝えているイエス様に心を向けることはホッとする思いがしました。

             

             身体が不自由で苦しみ悲しんでいる人の悩みを自分のこととして、四人の友は何とかして欲しいとイエス様の所に連れて来ました。ところがすでに人が一杯でイエス様の所に近づくことが出ないことが分かった四人は、この人を「一刻も早く」イエス様のもとに連れて行きたいという思いから、屋根に穴を開けました。その真実な愛に対して、イエス様はご自身の全力を注いで応えられたのです。それが、この人の罪を赦すという宣言でした。

             

             このイエス様の全力の応答こそ、私たちにとって「良い知らせ」と言えます。日々の様々な問題や課題に苦しめられている弱い私たちです。主の助けを期待して心から助けを祈り求めます。でも、しばしば私たちの祈りが目に見えた答えとして与えられないような失望を味わうことがあります。でも、イエス様はいつでも私たちの願うところをはるかに超えて豊に応えてくださるお方です。私たちの小さな祈りに対して、いつでも「あなたの罪は赦されています」とご自身の全力を注いで宣言してくださるお方です。

            | - | 20:11 | comments(0) | - | - | - |