牧師のこーひーぶれいく

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一番星
 先週は、11月の気候としてはめずらしく快晴の日が数日続きました。そんなある日のこと、出かけていて夕方に帰宅したとき、車を止めている家内を待っていた数分の間、空を見上げました。昼間のような日本晴れというほど鮮やかではありませんが、それでもまだ十分に青空と言える快晴の空が広がっていました。刻一刻色合いを変えていく自然の芸術に見とれていました。

 西よりの南の空に、キラキラと輝いているダイヤモンドのような光に目が留まりました。ねぐらに帰るカラスの群れが時々光をさえぎっていましたが、清らかな輝きは青空に輝いていました。やがて車から降りてきた家内に尋ねました。「あれは一番星?」「あの方向だとそうね。東の空の満月は見ました?まん丸くて大きな満月。」残念ながら、私の立っていたところからは、まだ上りきっていない月は見えませんでした。

 夕日と言うには早い太陽の光と、満月の光の中、一番星はキラキラと輝いて存在感を表していました。家にはいるのを少し遅らせ、しばらく見とれていました。キラキラとまたたいている一番星を見たのは、いつ以来か?数えることもできないほど昔々に見ただけのような思いを抱きました。毎日毎日変わらずに輝いていたはずですが、空を見上げることをしなかった私には、その存在が無かったと同じだったのです。

 ちょっと立ち止まって空を見上げる…こんな小さなことでも、天空の壮大な動きと見事な色彩を醸し出す自然界の芸術に心が感動するのです。まして、あわただしい生活の中で、私たちがふっと心を静めて立ち止まり神様の恵みの光に顔を向けるなら、神様の偉大さ真実な恵み深さに心が慰められ、新たな希望が与えられることでしょう。忙しい忙しいと言わずに、これからはもっと神様の前に立ち止まるひとときを持とうと決意しました。
- | 22:30 | comments(0) | -
花壇のスミの小菊
 私たちの教会には、北側と西側に植栽のスペースがあります。24年前の建築当初には、直径30センチの小さなドウダンツツジが一列に並んでいるだけでしたが、今は少なくとも24年間の年輪を重ねた堂々たる古木となっています。北側のツツジの間にはスズランが群生しています。残されたわずかなすき間には、オダマキやカキツバタなどが植えられています。花好きな教会員の方が植えてくださった花々です。

 西側には、一番奥のところにミョウガが植えられています。私がミョウガが大好物ということで、これも教会員の方が植えてくださいました。今年の春には手前の方にコスモスの芽が出ていました。家内と二人で眺めながら、どこから種が飛んできたのか、と不思議がっていました。昨年、コスモスの鉢植えを持ってきてくださった方がおられたので、その種が飛んだのではと話していました。

 今は、一番手前のエアコン室外機の下に、白い小菊が可憐な花を付けています。これもまたどこから飛んできたのか分からず、家内と成長を見守りながら不思議がっていました。二週間ほど前、ふとしたことがキッカケで、栃尾から出席しておられるTさんがコスモスの苗をソッと植えてくださったことが判明しました。どうりでツツジの邪魔にならないような所にうまくキレイに並んで花を咲かせていたはずです。とすると、この小菊もきっとTさんが…と家内と二人で感謝しています。

 細長く狭い植栽のスペースですが、花が好きな方々がソッと花を植えてくださっているおかげで、季節ごとに花を楽しめる植栽スペースとなっています。その一つ一つの花や木の美しさだけでなく、その背後に込められているお一人お一人のご好意を感じながら何倍も楽しませて頂いています。多種多様な花や木が肩を寄せ合っている植栽スペースを眺めながら、私たちの教会のモデルのように感じています。陰に隠れた善意に支えられて一人ひとりがその特色を発揮していきたいと願っています。
- | 20:38 | comments(0) | -
パンプキンパイ
 木々が紅葉し、枯れ葉が舞い始めるこの時期、私は無性にパンプキンパイがなつかしくなります。今でこそ日本でもカボチャのスイートが一般的になっていますが、私が最初にパンプキンパイと出会った頃は、私の感覚の中ではカボチャとお菓子が結びつくのは大変でした。30年以上も前ですが、アメリカに行って初めて食べたときから、カボチャのお菓子は私の頭の中では何の違和感も無くなりました。それどころか、枯れ葉舞うこの時期になると、なつかしくさえなります。

 枯れ葉と共に少々ホームシックになっていた私を自分の家庭に招いてくれた友人宅のパンプキンパイ…、カンサスに移って最初のクリスマスでアール博士のお宅に招かれて食べたパンプキンパイ…、とパンプキンパイには楽しい思い出が重なります。私がパンプキンパイをなつかしく思い出すのは、もちろんそのおいしい味もさることながら、パンプキンパイを一緒に食べた人々との交流が楽しい思い出となっているからだと思います。

 特に、なつかしく思い出されるのはカンサスのセミナリーに来て最初のクリスマスで、新約学の高名な教授ラルフ・アール博士のお宅に招かれて戴いたパンプキンパイです。私のような者が近づくことすら出来ないほど世界的な新約聖書学の学者ですが、セミナリーに学ぶ外国からの学生をクリスマスに自宅に招いて激励することを毎年恒例としておられたのです。2メートルもあろうかという背の高い博士が、玄関で丁重に迎えてくれ、私のコートを取ってコート掛けに掛けてくださいました。

 枯れ葉が舞い始めるとパンプキンパイがなつかしく思い出される理由は、多分パンプキンパイの味以上に、そこに温かい人々との楽しい思い出が重なっているからだと思います。どんなにおいしいものを食べても、たった一人で食べたのでは心に残らないと思います。「何を食べたか」というのではなく、「誰と食べたか」の方がおいしさが心に残るものだと思います。パンプキンパイから、お世話になった多くのすばらしい人格をなつかしく思い出しました。私も誰かの心に「おいしさ」を残すような心と人格になりたいもの、と神様の恵みの訓育に従いたいと願いました。
- | 20:16 | comments(0) | -
何だったかなぁ〜
 最近、とみに物忘れが激しくなったと自覚しています。以前は、ダイアリーを数日書き忘れても、思い出して書けていました。それがこのところは、その日の出来事すら一生懸命に考えないと出てきません。家内に聞いても、同じように忘れているので当てになりません。そこで出来るだけメモを取るようにしました。そして、そのメモを頼りに思い出しては一日の出来事を書き残すようにしました。

 今日も一つメモを取りました。ただ集会直前で、詳しくメモを取る時間的な余裕がなかったため、ごく簡単なメモを走り書きしました。その時、自分の心の中で「今は時間がないから、詳しく書けない。だからキーワードだけ書き残しておこう。これさえ書いておけば、あとで見て、その意味するところはハッキリしているから大丈夫。」と言い聞かせ、安心しきってメモをしまいました。それらの心の動きは鮮明に記憶しています。

 一日を終え、そのメモのことをすっかり忘れていたことに気が付きました。そう言えば書いておいたメモはどこに置いてあるだろう?確か、あの時自分は会堂の後ろにいて、近くにメモを書く紙を探したけれどなかったから、教会学校のクラスでお話しする原稿の裏に書いたはず…。それならば、教会学校さんびかか聖書に折り込んであるはず…。と次々と記憶を辿りながら、メモの在処を探しました。私の鮮明な記憶通りに教会学校さんびかに原稿が折り込んでありました。

 その原稿を裏返すと、そこには確かに私が書き残したメモがありました。ところが、そのメモの意味が分からないではありませんか。何かを考えていて、フッとおもしろい視点からの考察を思いつき、自分なりに興味深いと感じ、後でじっくり考え直してみよう…とメモすることにしたまでは、ハッキリと覚えているのですが、その肝心な「おもしろい視点からの考察」が何だったか思い出せません。それを思い出すためのキーワードを書き記したつもりでしたが、そのメモを見ても一番肝心なところの記憶が戻ってきません。またまた自分に自信を失いました。これからは、もう少し丁寧なメモを心がけようと思います。そうそう、そのメモしたキーワードは「KY」でした。だれのことを「空気読めない人」と書いたのだろうか?
- | 00:25 | comments(0) | -
めずらしい名字
 私の名字は、めずらしい名字と言えるでしょう。少なくとも、長岡市ではただ一軒だけのようです。もう何十年も前のことになりますが、投函した葉書が返送されてきたことがありました。確か何かの会議の案内書のような事務的な内容でした。宛名が違っていたらしく、目当ての方には届きませんでした。ところが、その葉書には我が家の住所が記載されていませんでした。ただ書記として「長岡・勝間田」だけが案内の最後に書かれていただけでした。それだけで我が家に届いたのです。

 その時、改めて私たちの名字がめずらしいこと、特に長岡市では一軒だけということを自覚しました。「カツマタ」は何軒かあるようですが、私たちと同じ漢字の名字はいまだに一軒だけのようです。めずらしい名字ということは、便利な面もありますが、不便なこともあります。その一つが、ハンコが手に入りにくいことです。もちろん正式に印鑑を注文すれば手に入りますが、いわゆる「100円均一」などの安いハンコの棚にはありません。

 数日前、出かけたついでに文具店に立ち寄りました。最近できた新しいお店ですし、丁度帰り道だったからです。机回りの小物を見ていたのですが、そばにハンコの棚があったので何気なく見てみると「勝間田」のハンコがありました。キャップを取るだけで何回でも押せるという便利なハンコです。即座に買い物かごに入れて購入しました。この種類のハンコでは初めて見たので喜んで家に帰って家族に見せました。家族の反応は、冷静でした。「長岡で一軒だけなんだから、そんなにあわてて買わなくても、ずっと売れないと思うよ。」確かに!

 「オンリー・ワン」という表現があります。大勢の中で目立たない存在である自分、特別な取り柄もないとうなだれてしまう自分に対して、神様は「かけがえのない大切な存在」という優しいまなざしで一人ひとりを見ていてくださるという励ましの意味が込められている言葉です。長岡で「オンリー・ワン」の我が家の名字ですが、神様の目にはそれ以上に私たち一人ひとりが「オンリー・ワン」の特別な存在なのです。あわてて失望したり諦めたりしないで、神様に期待と信頼を抱き続けたいと思います。 
- | 15:50 | comments(0) | -

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