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牧師のこーひーぶれいく

消しゴム版画
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     先週の金曜日は、今月の第二金曜日でしたので、ホーリー先生をお迎えしての「バイブルクラス」でした。今月は、1日がイースターでしたので特別レッスンとなりました。実は、バイブルクラスではルカの福音書を最初から学んでいますので、もうずっとクリスマスのままでした。そのルカの学びをチョット中断して、今回はルカ24章の復活の聖句を読みました。ところが、そこからホーリー先生の「サプライズ」が始まりました。

     

     参加者全員に「版画用の消しゴム」(木の版画のような薄い板状の柔らかいゴム版)が配られました。そして、復活の光景を彫るようにと言われました。ルカ24章には復活の朝の光景が記されています。香料を持って墓に行く婦人たち、まばゆいばかりの御使いが顕れたこと、恐ろしくなって顔を伏せる婦人たち、墓の中には誰も見当たらなかったこと、そして墓に走って行って空の墓をのぞき込むペテロのこと。

     

     そして、一人一人に上記のルカ24章の各節が順番に割り当てられ、それぞれの節に記されている光景を彫るようにと課題が与えられました。中学生頃から60年近くも彫刻などしたことがない私たちでしたので、どこからどう手を付けて良いか分からずワイワイガヤガヤと大騒ぎでした。中には、これなら英語で苦労した方が良い、という方もいました。しかし、ともかく課題として割り当てられた聖句をもう一度良く読み直しました。

     

     御使いの「ここにはおられません」という節が課題となった方は、「いないと言われている方をどう彫ったら良いの?」と、まるで空の墓の前でたたずむ婦人たちのように途方に暮れていました。でも、出来上がった作品は、とても見事でした。空の墓の前で途方に暮れている婦人たちの顔は悲しそうでしたし、「おられない」という光景も見事に出来上がりました。今回のことを通して、聖書を読み込むことの楽しさを再発見した「消しゴム彫刻」でした。

    | - | 19:31 | comments(0) | - | - | - |
    チャペル
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       先日、水曜日午前の祈り会を前にして、その日のために準備したメッセージを再確認しました。毎回のことですが、メッセージの原稿を読み直しながら、赤ペンで強調点などを確認したり、書き加えたり削除したりします。たいていは赤ペンだけで済むのですが、先週は、数行の手直しが必要でしたので、パソコンを立ち上げて書き直すことにしました。書き直して再度プリントアウトしたのですが、そのプリントアウトの時間を利用してフェイスブックを確認しました。

       

       すると、突然になつかしい光景が目に飛び込んできました。ナザレン・セミナリーのチャペルが映し出されていたからです。新しい学長の就任式が、フェイスブックでライブ中継されていたのです。なぜその中継が突然私のパソコン画面に現れたのかは良く理解できませんが、祈り会までの短い時間、階下に居た家内も呼んで一緒にその中継を見ました。理事会代表の祝辞、同窓会代表の歓迎の言葉、前学長の祝辞などが続き、新学長への按手式が執り行われました。

       

       続いて、新学長が就任メッセージを語り始めました。「ここにいる私たちは『主に召された』という共通点がある…」正直、英語は半分も理解不能となっていますし、祈り会の時間が迫って来たのでパソコンを切りました。もう40年も前に「やっと」卒業したセミナリーです。そのチャペルをもう一度目にすること、ましてその集会に加わることは二度とないと思っていました。それが、偶然のことでしたが、パソコンの画面で家内共々目にすることが出来て感動しました。

       

       ペンシルベニアのカレッジで学んでいた時、セミナリーでの学びが可能と知って様々と道を探りました。次々と道が閉ざされる中、最後のナザレン・セミナリーに申込みをした後、神様の祈った夜のことを思い出しました。「より良く神様と人に仕える伝道者となるために、何としてでもセミナリーへの道を開いていただきたい」と祈りました。あの祈りがなかったら、能力のない私はセミナリーの学びに挫折していたと思います。当時の苦闘と主の助けを思い出したチャペルの光景でした。

      | - | 19:46 | comments(0) | - | - | - |
      ラーメン
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         今年のイースター・召天者記念礼拝を感謝なうちに越えることが出来ました。長岡教会は、そのルーツを遡ると日露戦争まで辿り着きます。それから100年を超える長い歴史がありますので、教会員で召天された方も多くおられます。今年も三名の方が新たに召天者の中に加わり、90名の方々の写真を壇に飾って記念しました。幸いなことに、私は長岡在住が60年になりますので、その90名の大半の方々と交流があります。

         

         礼拝の後半で、お写真を見ながらご紹介させて頂くのですが、毎年テストを受けている気がします。というのは、写真のお顔はよく分かっているのですが、ふと名前が出てこないことがあるからです。毎年、前日にも礼拝直前にも何回か確認をします。今年も礼拝前に二度も予行演習をしました。その時には、お名前がスムーズに出て来ました。ところが、本番の時に、パタッと詰まってしまいました。今年は聴衆席からの助けを受けて何とか乗り切りました。

         

         そのテストのせいか、今年はことのほか礼拝後の疲れを強く感じました。午後の集会はあらかじめお休みとさせて頂いていましたので、午後はしばらく横になって休みました。若い頃から私は昼寝が大の苦手でした。昼寝をするとかえって体調を崩してしまうことが多かったのです。そんな私でしたが、日に日に70歳に近づくようになって最近は時折昼寝をするようになりました。しかも、昼寝のアトには、少し体調が回復するのです。

         

         今日も30分ほど横になって体調が回復し、その後に訪問に行くことにしました。今日の「召天者記念礼拝」で記念をさせて頂いた方のお宅です。お忙しい方ですので、なかなか礼拝に出席することが出来ません。でも集会の録音テープと週報で、誰よりも教会のことをよくご存じの方です。それで記念のお花を届けに行きました。相変わらずお忙しそうな様子でしたが、喜んでくださいました。そして、おいしいラーメンをいただいて、さらに元気が回復しました。そのお宅はおいしいラーメン屋だからです。

         

         

        | - | 20:05 | comments(0) | - | - | - |
        ティッシュ三箱
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           先日、自動車の整備を兼ねて自動車用品のお店に行きました。朝十時開店を知らずに、九時五十分過ぎにお店に着きました。寒い風の中、入り口の前で待ちました。すでに店員さんたちはお店の中で忙しくしていました。でも、ドアは開けてくれませんでした。
           十時二分過ぎくらいに、やっと入り口の自動ドアのスイッチが入り、戸が開きました。迎えてくれる店員さんのニコニコ笑顔を見ながら、そんなに歓迎してくれるなら、数分前にドアを開けて欲しかった、と心の中で思ってしまいました。
           自動車の簡単な整備が済むまでの時間にいくつかの必要なものを買い、アトは時間つぶしで店内を歩き回りました。自動車の整備が思ったよりも早く済んだので喜んで、店員さんと今冬のひどい寒さなどを話題にしながら整備状況を確認してお店を後にして帰宅しました。
           その日の午後、別の用事で家内と出かけた時、ポケットに手を入れると何やら見慣れないモノが出て来ました。朝に行った自動車用品店の「受付番号票」でした。返すのを忘れていたのです。少し遠回りしてそのお店に立ち寄り、お詫びをして返却しました。すると、店長らしき人が追いかけてきて「ティッシュ三箱」を手渡してくれました。こちらのミスなのに、と恐縮しました。ついうっかりと忘れたことを通して、誠実であることのさわやかさを感じました。
          | - | 15:47 | comments(0) | - | - | - |
          雪囲い
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             3月の第三聖日を越えました。陽差しが降り注ぐけれども、朝の最低気温はまだまだ真冬並との予報でした。その通りに礼拝に来られる方々も「空気はまだまだ冷たいです。」と言いながら暖かい会堂に急いで入っていきました。そんな中、小一時間もバイクに乗って来られた方もおられ、その姿に頭が下がりました。それは決して「熱心」という表現だけでは言い表せません。それほど神様の慰めを求めておられたのでしょう。

             

             礼拝では、ご自身の十字架刑に向かって進むイエス・キリストが、道ばたに座して物乞いをしていたバルティマイの叫びに耳を傾けてくださった聖句に心を留めました。ご自身のことだけで精一杯と思われるとき、人の目には神様の助けを求める資格がないと蔑まれていた人物の叫びに耳を傾けてくださったのです。この良く知られているエピソードは、私自身も読む度に心励まされます。こんな私の叫びにも、主イエスは耳を傾けてくださる方と確認できるからです。

             

             午前の礼拝と午後の集会を終えた頃には、朝の冷気も陽差しで暖められて春らしい気温となっていました。それで、午後の集会の後、家内と二人で植栽の雪囲いを取り除く作業を始めました。しばらくすると、近所にお住まいのご高齢のTさんが、腰痛のために歩くことが出来ないからと、自転車に乗ってお手伝いに来てくださいました。腰も伸びないようなTさんですので、丁重に辞退したのですが、さっさと作業に加わってくださいました。

             

             そのお手伝いに恐縮しながら作業の手を早めました。雪囲いの竹を縛っている縄を切ってはずし、次々とドウダンツツジの枝を解放してあげました。雪が降り積もる冬には枝を守っていた雪囲いの竹と縄は、春の陽差しの中では枝を窮屈に閉じ込めていました。雪囲いをはずした枝は、延び延びと背伸びするように枝を自由に伸ばしていました。これから春の陽差しを一杯に浴びて、芽を出し、白い花を咲かせていくことでしょう。期待しています。

            | - | 20:39 | comments(0) | - | - | - |