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牧師のこーひーぶれいく

クリスマスは本物の光
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     待降節の第二聖日を越えました。今年のクリスマスの節季は、個人的に「光」をテーマに説教を準備しています。先週は、イザヤ9章2節の「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。」の聖句に心を留めました。その聖句にある「やみ」について、私は信仰の良き先輩の体験談を思い起こしていました。その方が、若い頃に炭鉱で働いていた時、ヘッドライトの電池がなくなると、本当に真っ暗闇になる、と話してくださいました。

     

     私たちが考える暗闇は、せいぜいが夜の暗闇で、そんなものは本当の暗闇ではない、と力説しておられたことを思い出します。もちろん、その方は単に暗闇のことを話していたのではなく、人の心の深い罪の暗闇について私にその深刻さを教えようとしておられた思います。様々な人生経験を通られたその方の信仰の証しは、牧師家庭に生まれ育って世間のことは何も知らない私にとって、特に「本物のやみ」についてとても深く教えられました。

     

     本当の光についても一つのエピソードを思い出します。もう50年近くも前のこと、当時の長岡教会の両隣はそれぞれ役員さんの住まいがありました。その両家の子どもたちが、学校の課題としてチューリップを育てました。男の子は、植木鉢に球根を植えて戸外に出してそのまま。女の子の方は、植木鉢を暖かい室内に入れて育てました。室内の球根は、男の子の球根がまだ小さな芽が出始めの頃にもう花を咲かせるまでに成長しました。

     

     ところが大問題が生じました。室内の反射式石油ストーブの光を受けて育ったチューリップは、葉も茎も、そして花までが緑色だったのです。赤い花が咲くはずのチューリップが、見たことも無い珍しい緑色の花を咲かせたのです。今だったらインスタで世界中の話題になったと思います。女の子は困って教会に持って来ました。教会でもどうしたものかと困って、とりあえず窓際に置きました。そこに光が射し、とたんにチューリップの花は真っ赤になりました。人工の光では花に色をつけることが出来ませんが、本物の光は見事な色を着けました。私の信仰者としての花の色はどんな色か、と思い巡らしています。

    | - | 19:51 | comments(0) | - | - | - |
    風邪引くよ
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       今日は、待降節の第一聖日でした。私たちの教会では、クリスマスのチャペルコンサートがありました。来演者は、昨年と同じ「トリオ・グラシア」でした。昨年のアンケートにも、もう一度お迎えしたいとと書いてありましたし、教会員の中からも希望がありましたので、再びお迎えすることになりました。来会者も多く、期待通りに昨年以上のコンサートとなり、心から感謝しました。ただ、私としては少し心残りなことがありました。

       

       それは、11月の半ばから風邪気味で十分な準備が出来なかったからです。最初は簡単な鼻風邪と思っていましたが、なかなかスッキリと治らず、いつまでも鼻声で説教をして、教会員の方々にご心配をおかけしてしまいました。牧師という立場上、風邪は出来るだけ早く治さなければ、と普段から思っています。それは、体調が悪い方や病人をお見舞いするのに、風邪引きでは申し訳ないからです。それで私はお医者さんから処方された抗生物質などを早めに飲むようにしています。

       

       風邪は数日前に治りましたが、それでも私としては準備不十分でチャペルコンサートを迎えることになってしまいました。せめて身なりだけはキチンとしたいと思って、風邪の間行けなかった床屋に行くことにしました。それで、家内にその事を伝えると、私の頭を見ながら、気乗りのしない「そうぉ」という返事が返ってきました。そこに娘がやって来たので、私は承認を得たいと思って床屋に行くこと伝えました。即座に「風邪引くよ」と言われてしまいました。

       

       床屋に行く前と後で、そんなに髪の量が変わるような頭ではないのですが、それでも床屋に行った後は、頭がヒヤッとして風邪気味になっていました。そのことを覚えていて心配してくれたのだとは思いますが、私としてはチャペルコンサートのために最善の準備をしたかったので、少し心が重くなりました。その配慮に満ちた言葉のおかげで、今日は体調万全でコンサートを迎えることが出来ました。この体調を維持して、12月も全力で奉仕をしたいと思います。今週中には床屋に行きます。

      | - | 20:51 | comments(0) | - | - | - |
      マンボウ
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         今日の聖日は、私としては珍しく先週から心待ちにしていました。私は、今でも人前に立つのが大の苦手ですので、講壇に立って奉仕をする説教者として、聖日を心待ちにすることはほぼありません。たいていは、土曜日にはどこか体調が思わしくなるのが普通です。そんな私が今日を楽しみにしていたのは、教会員のお一人がご自分で焼かれた陶製のマンボウを持ってきてくださると約束してくださっていたからです。

         

         その方は、この三年ほど毎年マンボウを陶器で制作しています。三年前の第一号のマンボウを教会の玄関ホールに飾ってくださり、そのホンワカとした雰囲気が私があまりにも気に入ったため、それを私にくださいました。そのマンボウは今も玄関ホールで来られる方々をホンワカとお迎えしています。昨年のマンボウは、お腹の中にろうそくが灯されるようになって、いっそうホンワカした雰囲気を醸し出していました。

         

         今年の「第三号マンボウ」は、この二年間のマンボウと、粘土も釜も同じなのに、温度の具合が良かったのか、とても良い色にできあがったと聞いていました。それで、どんな色合いになったのか拝見するのを楽しみにしていたのです。礼拝を終えて午後の三浦綾子読書会の準備をしている時、待ちに待ったマンボウ第三号と対面しました。ひと目見て、その表情のあどけないキュートさに惹きつけられました。

         

         しかも、片側のひれと背中の部分は、薄い緑がかったガラス質の光沢がありました。きっと登り窯の中で一番温度が高くなる所に置かれていたのでは、とのことでした。第一号と第二号は、素焼きの器のような茶色でザラザラした質感なのですが、同じ材料の土なのに温度が違うだけで見事な輝きを見せていました。私も「粗末の土の器」ですが、日々の困難や逆境に中で、輝きを表すことができるように、と励まされた思いです。

         

        | - | 21:09 | comments(0) | - | - | - |
        スノータイヤ
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           今日は、天気予報では今年一番の冷え込みとのことで、降雪の予報もありました。朝一番に窓から外を見ましたが、雨でホッとしました。それでも真冬並みに床暖房をつけて礼拝に備えました。集会時間が近づいてからはガスストーブとエアコンをつけ、玄関ホールには石油ストーブも出して、と皆様を温かくお迎えするための準備を総動員して備えました。礼拝が始まる頃には、雨に白いものが混じり始めました。

           

           礼拝が始まり、講壇に座っていると、ガラス戸越しにチラチラと見える外の様子が本格的な降雪になっていきました。それでも会堂内は温かく快適・・・と思っていましたが、戸外の冷たい空気が入り込んだのか、会衆のお一人が大きなくしゃみを二回繰り返していました。風邪を引かないと良いが、と案じながら講壇に立って説教を始めようとすると、今度は私が咳き込んで言葉が続きません。それも二度三度と。

           

           実は、私は十日ほど前風邪気味でした。孫から家内が風邪をもらい、その風邪が長引いているうちに私にとりついたのです。それで先週の子供祝福礼拝も鼻声で説教をしました。これまでは、説教をすると風邪が抜けていたのですが、今回はしつこい風邪でなかなか抜けません。それで今日は咳き込んでしまったのです。会衆のお一人がコップに水を入れて講壇まで持ってきて下さいましたので、その水で助けられて説教の奉仕を全うすることができました。

           

           さらに午後の聖書と賛美の集い(伝道会)も無事乗り越えることができました。雪は地面がうっすらと白くなるまで積もっていました。兄姉方は、口々にこれからスノータイヤの交換です、と言いながら帰途につきました。それで私も交換をしようと思いました。娘と家内が手伝ってくれました。と言うより、実質的には娘が全部やってくれました。私は周りでウロウロしていただけでしたが、ガックリと疲れを覚えました。自分の体力の衰えを実感した一日でした。

          | - | 20:51 | comments(0) | - | - | - |
          子供祝福礼拝
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             今日は、長岡教会でも「子供祝福礼拝」を持ちました。説教の準備も、子どもたちが聞いてくれることを想定して、分かりやすいように心がけました。何年か前の子供祝福礼拝は、ほとんどの子供が都合が悪く、確か子供が一人も出席しなかったことがありました。もし、そんなことになったら最悪なことになる、と心配しながら礼拝時間を迎えました。開始早々に、二人が顔を見せてくれたので私は講壇でホッとしていました。

             

             司会者から交代して、私は子どもたちを前の方の座席に招くことにしました。最初、子どもたちを聴衆に紹介するため、講壇に上がってもらいました。今日は、私が紹介するのではなく、子どもたちに自己紹介をしてもらうことにしました。何しろ、最近は物忘れが激しく、七名の子どもたちですが、途中で頭が真っ白になって詰まっては子どもたちに申し訳ないと思いました。中学生のお兄さんから自己紹介が始まりました。

             

             それぞれがハッキリとした口調で自分の名前を紹介していきました。最後の二人は私の孫たちでした。4歳の孫は、私に似て人前で話すのは大の苦手です。きっとモジモジして何も言わないかも知れない、と思いながらマイクを近づけて「お名前は?」と聞きました。すると予想に反して、ハッキリとした声で「りほです。」と言いました。私はビックリしながらもホッとしました。次のお姉ちゃんも私と同じ思いだったようです。

             

             きっと、妹が自分の名前を言うように、と心の中で妹の名前を何度も口ずさみながら応援していたのでしょう。自分の番になって、私が「お名前は?」と聞いたら、思わず自分も「りほです。」と言ってしまい、すぐに「あっ」と間違いに気がついて自分の名前を言い直しました。何ともほほえましい光景でした。こんな子どもたちです。まさに神様は「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」とほほえんでいてくださると信じ、神様の豊かな祝福をお祈りしました。

            | - | 19:59 | comments(0) | - | - | - |