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牧師のこーひーぶれいく

逐語霊感?
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     雪国の12月としてはめずらしく晴天の聖日でした。少し空気はひんやりとしていましたが、我々雪国の住人にとって、冬なのに乾いた道路を走る事ができるのは何よりも嬉しいことです。礼拝に来られた方々と玄関先でそんな挨拶を交わしました。長岡教会では、すでにクリスマスチャペルコンサートを開催し、先週はファミリークリスマス・愛餐祝会がありました。来週は「キャンドルサービス礼拝」が予定されています。

     

     つまり、今日はクリスマスの月ですがごく普通?の聖日の営みでした。礼拝と午後の伝道会(聖書と賛美の集い)がありました。今日は、礼拝にも司会者が立てられていましたので、私は礼拝順序を飛ばさないようにと気を遣わずに礼拝に臨みました。ただ、午後の集会では、司会も担うことになりました。と言いますのは、先月末に発行した今月の「集会プラン表」の今日の司会者のところにミスプリントがあったからです。

     

     実は、私は週報などでよくミスプリントをしてしまいます。教会員の方々も慣れたもので、間違っている箇所に疑問を抱くことも質問することもなく、ご自分たちで訂正してくださいます。ある時は、週報の日付けが間違っていて、講壇で見た時に自分でビックリしたことがありました。それでも教会員の方々は何事もないようにご自分たちで訂正してくださいました。そんな私ですから、今回の司会者のミスプリントも、名前が書かれていた方がスルーしてくださいました。

     

     でも、その場合、後任?が決まっていないと、誰も司会者が立たないことになります。結果として私が司会の任も担うことになったのです。聞くところによると、名前が載った方のお宅では、ご夫婦で悩まれたそうです。これはミスプリントではなく、牧師が「あえて」載せたのではないか?いやいや単純なミスプリントでは?その議論の結果、ミスプリントの意見が勝ったそうです。私のプリントも「逐語霊感」と受け止めてくだされば良かったのに、と複雑な思いで講壇に上がりました。

    | - | 21:19 | comments(0) | - | - | - |
    Joy to the world
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       今日は、この冬初めての雪が数センチ積もった中で持たれた礼拝でした。雪国に住んで長い私たちですが、やはり初めての雪には戸惑いを感じます。まして、それが聖日の朝となると皆様方をお迎えする私たちとしては格別に緊張し、主の助けを祈りつつ備えました。雪道が原因で車がパンクした方がおられましたが、何とか支えられて少し遅れて一緒に礼拝を守ることが出来ました。これから3月までは集会毎に、天気予報を気にしながら集会の準備をすることになります。

       

       今日は、礼拝に引き続き「ファミリークリスマス」が開催されました。主にある家族として、リラックスした雰囲気でクリスマスを喜び楽しむ集いです。可能な方が、それぞれのお料理を持ち寄っての楽しい昼食がメインのフェローシップの時です。バラエティーに富んだ料理の数々に、目移りしながら何をお皿に盛ろうかと自分の胃袋と相談しながら食事が進みました。結局は、胃袋の限界に挑戦して、夕食分までいただいた方が多かったようです。

       

       その腹ごなしも兼ねて、食事の後に少しゲームで楽しみました。5歳の子から90歳を超えた方まで一緒に楽しむには、ジャンケンゲームが一番です。教会らしさを出すために「負けるが勝ち」や「気が合った人が勝ち(あいこが勝ち残り)」などで盛り上がりました。その後は、秒数当てゲーム(ガラテヤの「時が満ち」にムリヤリこじつけ?)や、クリスマス名称でのビンゴなど、大いに笑い大いに楽しみました。

       

       もちろん、証しや賛美もありました。主にある家族としての楽しいひと時を満喫して、最後にお祈りを捧げましたが、その祈りの中心は「この集いに集えなかった方々への慰め」です。ご家族の急な入院に付き添っている方々、施設に入所しているご高齢の方々、遠隔地の方々、心がうなだれている方々、など楽しい時を過ごしながらも片時も心から離れない案じている方々のために祈りました。その小さな祈りも、主にある家族としての心の絆の証しです。そのひとり一人に、主の喜びが注がれるように切に祈りました。

      | - | 20:34 | comments(0) | - | - | - |
      心を癒やす賛美
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         今日は、12月第一聖日で待降節の第一の聖日でもありました。私たちの教会では、午後にチャペルコンサートを予定していました。今年で満十年目となるチャペルコンサートです。十年前、私たちの教会が地域に浸透していないことを申し訳なく感じていましたし、もっと地域の方々に奉仕できる教会を目指したいと思って、様々と模索していた時、東京のKさんご夫妻(奥様が長岡出身)からお勧めをいただいて、ユーオーディアの助けをいただきました。

         

         地方の小さな教会で、チャペルコンサートを行っても果たして皆さん方が来てくださるだろうか、と全く見通しのない中で踏み出しました。それから十年が経ちました。地域の方々の温かいご理解とご協力、何よりも教会員の方々の一生懸命なご奉仕をいただいて、ここまで継続することが出来ました。今年もユーオーディアから、ヴァイオリンと蜷川さんとピアノの奧山さんをお迎えしました。午前の礼拝でも特別賛美としてすばらしい演奏を聴かせてくださり感謝しました。

         

         午後のチャペルコンサートには、願っていた100名の来会者までは行きませんでしたが、新しい方々も多くお見えくださり、90名を超える方々をお迎えしました。前半の演奏を聴きながら、私は例年になく心が癒やされる思いをしました。この十年間の演奏は、それぞれに感動するとてもすばらしいものでした。でも、今年の演奏は格別に「心が癒やされる」思いを受けました。実は、チャペルコンサートを前にして私の心はうなだれていたからです。

         

         礼拝の時、今日は特別賛美礼拝と言うこともあって、私が司会の任も引き受けました。司会の務めを果たしながら、心の中で「今日の礼拝は、やけに早く進んでいる」と違和感を感じていました。説教前の特別賛美の演奏をお願いして聴衆席に降りた時、信徒の方から耳打ちされました。「主の祈り、使徒信条、賛美歌を飛ばしましたよ。」礼拝の進みが早いはずです。すっかりうなだれてチャペルコンサートを迎えたのです。そんな私の心に、温かい演奏を通して神様の慰めと癒やしが届きました。今年もすばらしいチャペルコンサートに感謝しました。

        | - | 21:57 | comments(0) | - | - | - |
        オタマジャクシ
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           11月の最終聖日を越えてホッとしています。どういうわけか、この11月はとにかく早く過ぎてしまった感じです。よく年頭に聞く言葉として「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」というものがあります。年頭の三ヶ月が早く過ぎてしまうことを、語呂合わせで表現しています。毎年、その言葉を思い浮かべて、良く言ったものと感心しています。それで行くと、アッという間に過ぎた11月はどうなるかと考えてみました。

           

           この数日、説教の準備の合間合間に考えてみました。思いついたのが「11月はジュウと蒸発する」でした。まさに私にとって、瞬間的に蒸発してしまったように過ぎ去った11月を良く表していると気に入っています。でも、そんなことで喜んではいられません。もう来週にはチャペルコンサートが予定されていて、クリスマスの大切な月の各集会が待っています。その準備のために残された短い期間ですが全力を尽くさなければ、と自分を励ましています。

           

           クリスマスの準備の一つとして、礼拝の後にクリスマスコワイヤの練習がありました。男声が少ないので、枯れ木も山の賑わいと、今年は私もコワイヤに加わろうかと思って練習に加わりました。音楽委員の兄弟が、最近のeラーニングで知った新しい賛美歌を選曲してくれました。全員が知らない曲ですので、最初に全員でメロディーパートを歌いました。私も楽譜を見ながら一生懸命に歌いました。次に、アルトパートを全員で歌うことになりました。四苦八苦しながら歌いました。

           

           歌い終わると、前の席に座っていた娘が振り返って、私に「アルトパートを歌っていた?」と聞きました。一生懸命に歌っていた私には心外な質問でした。でも、確かに、メロディーパートの時とは声の大きさが違っていたことは認めざるを得ません。何しろ、楽譜を見てはいますが、オタマジャクシの上がり下がりを見ながら適当に声を出しているだけですから。そのことを娘に言うと、その隣に座っていた娘婿が笑いながら、自分もそうだと告白しました。今年のコワイヤは大丈夫でしょうか。

          | - | 19:21 | comments(0) | - | - | - |
          ビックリしちゃった
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             感謝なことに、母は100歳を超えても変わらずに元気で過ごしています。私は、ほぼ週2回は母の所に顔を出して、しばらく雑談をして過ごしています。100歳になりたての頃は、自分が100歳だとは信じられずに、私が「今何歳?」と尋ねると、首をかしげながらチョット考えて「98?」と答えていました。それで私が、両手を広げて「100歳」と言うと、心の底から驚いて「えーっ、100歳?」とビックリしていました。

             

             最近は、自分が100歳であることは素直に認めるようになりました。でも、今でも100歳であることは信じられず、まだ「99歳」のような気分だそうです。何ともビミョーな違いなので、まだ「若輩」の私はそれ以上は追求しないことにしています。先日も、そんなたわいのない話しの後、今週の週報のコラム欄に書いた母のことを話題にしました。それは、私が献身したことを今になって母が「ビックリしちゃった」と言っていることに関してです。

             

             この数年間、私が訪問する度に母の口から、私の献身のことが話題になっていました。まず母が救われたことを感謝し、自分自身の献身の話が続きます。戦時中にもかかわらず献身して父親の所に報告をしに言ったときのことを、昨日のことのように話してくれます。その後、伝道者としての生活の苦労話が続きます。でも、「その名は不思議」という聖句の通りに、神様は不思議な恵みを注いでここまで導いてくださった、と感謝します。

             

             その恵みの回顧談の締めくくりに私の献身のことが出て来ます。「あなたが献身したので、ビックリしちゃった。」これまで機会がありませんでしたが、先日、初めて「ビックリしちゃった」理由を来ました。それは、私が健康的に弱かったのに献身したからだったとのことでした。母の目には、いつまでも中学2年生の時に3ヶ月間学校を休んで闘病した私が見えているのだと分かりました。確かに、様々な弱さを抱えている私ですが、今年もここまで奉仕を続け来ることができたことは、自分でも「ビックリしちゃった」というところです。

            | - | 20:42 | comments(0) | - | - | - |