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牧師のこーひーぶれいく

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召天者記念礼拝
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     今日はイースターです。長岡教会では、毎年イースター礼拝で「召天者記念礼拝」を開催しています。今年も、召天者のご家族の方々が、遠く県外からもお越しくださり、賑やかな会衆席となりました。私たちは、この日、講壇に召天者の写真を並べて記念します。長岡教会は歴史が100年を越えますので、召天者の中には、召されてから98年たつ方もおられ、90名前後の方の写真が並んでいました。

     

     私は、毎年、このイースター礼拝で、召天された方々からの「大声援」を感じます。それは、信仰生活の困難さに四苦八苦しながら苦闘している私たちに対して、ヘブル書12章に「多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いている」と記されているからです。証人と言われている彼ら観衆は、先に信仰生涯の苦難を味わって来て観衆席に座っている「召天者」です。自分たちが苦闘してきたので、適切な声援を送ってくれるのです。

     

     「大声援」で私が思い出すのは、小学6年生の夏の出来事です。青森育ちで水泳の経験がなくカナヅチの私に、最後のプール授業で、横幅13メートルを泳ぐようにと先生が言いました。仕方なく飛び込んだ私は、アップアップともがきながらおぼれかけていました。すると、プールサイドの学友全員が「ガンバレ」の大声援を送ってくれました。その大声援のお陰で、私は生まれてはじめて13メートルを泳ぎ切りました。でも、その「ガンバレ」のプレッシャーも心に痛く感じました。

     

     今の時代は「ガンバレ」という言葉は、すでに頑張っている人に、まだ頑張りが足りないという冷酷な言葉となるから使わないようにと言われています。私の経験からも「ガンバレ」という言葉は、時にとても過酷なものだということは良く分かります。でも、私たちの「証人」たちは、決してむやみやたらにガンバレと言っているのではないと思います。彼らも「おぼれる寸前」のような苦闘の中で主の支えと助けを経験した人たちだからです。彼らは「イエス様に目を留めるように」と大声援をかけていると信じます。ただ自分の頑張りだけでなく、主の助けをいただくのが信仰生活だからです。

    | - | 20:29 | comments(0) | - | - | - |