聖書には、とても魅力的で模範としたい人物が多く記されています。先日、教会の青年たちと話をしたとき、彼らが興味や魅力を感じる聖書人物を何人か上げてくれました。その聖書人物たちに彼らが魅力を感じる理由を尋ねると、それは失敗や挫折を経験したから、と答えてくれました。順調に成功した人よりも、失敗を経験した人の方が親近感を感じるし、学ぶことが多いという彼らの考えを知って、青年たちに対する尊敬の念を覚えました。自分が彼らの年代の時には、そんなことは少しも感じていなかったからです。
私も、聖書人物の中で、その信仰と生き方に魅力を感じて、模範として学びたいと思う人が何人かいます。その多くは、青年たちが挙げてくれた失敗を経験した人物たちと重なりますが、重ならない人物もいます。その一人が、バプテスマのヨハネです。マタイ11章には、イエス様がバプテスマのヨハネに対して、「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした。」と最高級の賛辞を贈っています。
でも、私が彼を模範として見倣いたいと思っているのは、決してその賛辞のせいではありません。自分の信仰を顧みると、とてもイエス様からそんな賛辞を期待できるような者でないことは重々分かっています。私が彼に親近感を抱くのは、彼が他の預言者や使徒たちと違って、人々が驚嘆するような偉大な奇跡を何一つ行わなかったという点です。言ってみれは、実に地味な信仰生活であり、地道な奉仕だったという点です。
伝道者として奉仕をさせて頂いて、もうすぐ40年になります。神学生時代には、それなりに(?)夢を抱いていましたが、現実の伝道者生涯は、ただただ反省と後悔のみの地味なものでした。だから、年齢と共にバプテスマのヨハネに親しみを感じるのかも知れません。ただ、彼の食生活はマネできません。先日も、朝食でヨーグルトを食べている家内にもう少し離れてくれないかとお願いしました。何が苦手と言って、私はヨーグルトほど嫌いなものはないからです。