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牧師のこーひーぶれいく

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「当事者性」
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     今年のノーベル平和賞が、二名の方に決まりました。それぞれが、戦争における性犯罪の被害者の立場に立って救済活動に当たっている方でした。お一人は医師として被害者の治療に当たっておられ、もうお一人は、ご自身も被害を受けながら、同じ被害に遭った方々の救済に当たっておられるとのことです。そして、そのお二人の受賞が、戦争を隠れ蓑にした性暴力の加害者に対するその責任の糾弾につながるように、と語られていました。

     

     そんなことはあり得ないとは思っていましたが、事前の予想では、打算と自己顕示欲によって手をつないで平和推進のポーズを取っていた政治家が有力候補と言われていました。これまでの平和賞受賞者の中にも、日本人を含めて何人かの政治家がいましたが、その多くは、うわべのポーズとは裏腹に、世界の平和推進どころか、むしろ戦争(地域紛争)を推進させていました。今年の平和賞受賞者は、弱い立場の人に寄り添っている人たちで、良かったと思います。

     

     世界の平和に貢献するためなどと大きなことを言わなくても、私たちも日々の生活の中で、傷つき悩み弱さの中にある方々に対する姿勢を考え直さなければならないと思います。そのキーワードは「当事者性」です。河村従彦先生が、その著書「試練の意味」の中で詳述しておられますが、この「当事者性」とは、簡単に言うと、悲しみ苦難の中にある方々に、どれだけその苦しみを自分のものとして寄り添うことができるか、ということです。

     

     苦難の中にある人に、遠くから同情の目を注ぐことは簡単です。そして、ああすれば良い、こうすれば良い、とアドパイスをすることも可能です。でも、そのアドバイスは、しばしば苦難の中にある方をさらに傷つけます。アドバイスが正論であればあるほど、その傷は深くなります。そうではなくて、自分がその試練を受けている「当事者」のように、深く悩みを味わい続けることが、苦難の中にある人にとっては慰めとなるのではないでしょうか。その「当事者性」の一番の模範は、人となって苦しみを味わってくださった神の御子イエス様です。その模範に倣いたいものです。

    | - | 22:45 | comments(0) | - | - | - |