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牧師のこーひーぶれいく

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     イエス様のゲッセマネの祈りの記事で印象的なのは、ルカ福音書が記している「血のしずくのような汗」です。マタイとマルコは、深い悲しみと悩みで、イエス様がもだえていると記されていますが、汗のことは触れられていません。しかし、その余りに深い苦悩のゆえに、汗が前進から噴き出したと言うことは想像できます。私自身、昨年、術後の処置の時に、神経を引っかき回される痛みを味わったとき、脂汗が全身から噴き出したからです。

     

     そのイエス様の苦悩に満ちたゲッセマネの祈りを、ヘブル書は「涙の祈り」と記しています。私たちも人生の苦悩の中で涙を流すことがあります。悲しみの涙や悔し涙など、涙にも様々な意味合いがありますが、日本社会では一般的に涙は弱さや敗北という印象があるように思います。ですから、多くの人は涙を隠そうとするのではないでしょうか。しかし、聖書はイエス様の涙を隠そうとはしていません。むしろ尊いものとしてハッキリと示しています。

     

     先週、私は「涙」に関する一つのエピソードを伺いました。長く闘病生活を送ってきた一人のお母さんが、このところ病状が悪化してきて意識もなくなってきたのです。医師から最期の時が近いことを告げられたご長男は、枕元で母親に、後のことは心配しないで任せて、と話しかけたそうです。すると、ずっと意識も無くコミュニケーションを取ることができなかった母親の目からスーッと涙を一筋流れ出たそうです。

     

     詩篇には、神様が私たちの涙を「皮袋」に蓄えていてくださると記されています。私たちが流す涙も、神様は決して弱さや敗北のしるしとして軽蔑したり、泣くなと叱咤激励するのではなく、この上ない尊いものとして覚えてくださるのです。意識が無いと思われていた母親が、その病床で流した一筋の涙は、まさに神様から尊い涙として受け止められ、そこに込められている様々な思いと願いは、神様に聞き入れられたと信じています。

    | - | 22:18 | comments(0) | - | - | - |