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牧師のこーひーぶれいく

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Sさんの記念
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     今日は、暖かい陽差しの元で2月最終聖日を迎えました。今年の冬は、私自身が長岡に来て60年で初めてという程に雪が少なく、また気温も凍てつく日が少ない穏やかな冬でした。そのうえ、裏日本の冬と言えば、鉛色の厚い雲で覆われているのが当たり前なのですが、今年の冬は、晴れの日が多く、とても不思議な、そしてとても感謝な冬でした。今日も、その不思議な冬の典型のように、朝から暖かい陽差しが降り注いでいました。

     

     そんな心地良い聖日に、Sさんを記念した礼拝を持ちました。Sさんは、昨年の2月に主のもとに召された方です。長岡教会の信仰的な大黒柱のような方でした。今日の礼拝で、ご子息が短くご挨拶をいただいたのですが、その中で「母の信仰は、子どもから見ても立派な信仰でした」と仰っていました。Sさんを知っている方は、だれしもがその通りとうなずくことと思います。そのようなSさんの記念でしたので、いつも以上に緊張して聖日の朝を迎えました。

     

     今朝の礼拝メッセージとして、詩篇119篇71節の「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたのおきてを学びました。」をご紹介しました。その聖句が、Sさんの信仰を良く表していると思ったからです。真実な信仰生活を歩かれたSさんでしたが、その生涯、特に信仰者としての歩みは、また「苦しみ」の連続だったと言うことが出来ます。ご結婚当初は、集会出席も自由に出来ないところを通られました。唯一、早天祈祷会だけはご家族に気を遣わずに出席できるからと励まれました。

     

     晩年は、いくつかの病を得られて、さらに苦しみの中を通られました。今はやりの、いわゆる「繁栄の神学」で見れば、これほど理不尽なことはない、その信仰のどこかがおかしいと指摘されそうな信仰生活です。でも、Sさんはそのような苦しみの中で、生き生きと信仰生活を励み、苦しみの中にある方々の良き理解者として尊い働きをしてくださいました。その励ましで、私も牧師を辞めずに今まで保たれました。今日、改めてSさんを用いてくださった神様に感謝しました。

    | - | 20:19 | comments(0) | - | - | - |