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牧師のこーひーぶれいく

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ふっと出た「感謝」
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     年度末の聖日でした。いつもの年ですと、この時期の聖日は、年会直後、つまり新しい任命を頂戴して初めての聖日として新たな踏み出し感があるのですが、今年は3月始めに年会がありましたので、通常の聖日のように迎えました。それでも、若い方を初めとして年度替わりの様々な動きのある中で、主の新鮮な恵みを祈り求めながら今日を迎えました。そして、いつものように、講壇に上がる際、いつものようにひざまずいて祈りました。

     

     説教者として講壇に上がる度に、私は「大麦のパンです。主よ用いてください。」と祈ります。空腹を抱えた数千人を前にした時、一人の少年が「五つのパンと二匹の魚」を主に差し出したところ、主がそれを用いて数千人のお腹を満たしてくださった、という記事を心に思い描いての祈りです。自分が精一杯準備した説教は、決して集ってこられた方々には十分なものではなくても、主の手に委ねるなら満たしてくださる、との信仰の祈りです。

     

     今日も、講壇に上がって、椅子に座る前にひざまずいて祈りました。ところが、いつもの祈りではなく、フッと「感謝します。」という言葉が心に浮かんできたのです。自分でも少しビックリしましたが、そのまま祈りを続けると「今日も主は、こんな乏しい私を用いてくださることはなんと感謝なことか。」という言葉が出て来ました。ホンノ数秒間の短い祈りでしたが、主が与えてくださった祈りに励まされて立ち上がりました。

     

     今までは、欠けだらけの自分や、自分が準備してきた説教の粗末さだけを見て申し訳なく思い、主の助けを祈ってきました。今もそれは少しも変わりませんが、今日の祈りで、欠けだらけの自分を別な面から見ることが出来たと思いました。それは、主は私の欠けを全てご存じで、それでも/それだからこそ召してくださり、ここまで忍耐深く御手に握りしめて用いてくださったという恵みの事実です。新しい年度は、この恵みの事実に励まされて進みたいと願います。

    | - | 22:41 | comments(0) | - | - | - |