長岡教会の方々も年会に出席する私を送り出す時、年会でどのような任命を受けるかドキドキしていますと話しておられました。もしかしたら、内心はワクワクしていたのかも知れません。何年かすると、教会員の方々の緊張感もなくなってきて、ニコニコしながら年会へ送り出してくださるようになりました。でも、年会に出かける私は牧師として慣れないように心がけていました。そして、任命式には主から新しく任命を受けるという緊張感で臨んでいました。
転任は、特に以前のように急な転任は、任命を受ける牧師以上に牧師家族、特に子どもたちに大きな影響を与えるものです。それまで仲良くしていた友だちと突然に別れることになるのです。その悲しみが心にうずいている間に見知らぬ(望まぬ?)新しい地で新しい人間関係を築かなければならないのです。幼少期の心に与える影響は、測り知れないものがあるはずです。いろいろな考え方があるとは思いますが、転任の内示は必要と思います。
年会を前にしてまだ内示を受けていない私は、多分転任はないと思います。でも、年会に出席する心構えとしては、今までの任命から解かれて主の前に集い、主からの新しい任命を受けるという厳粛な思いを大切にしたいと思っています。こういう「一区切り」はとても大切です。主の前に出て自分の至らなかったことを反省する時となるからです。そして、新しく任命を受けるために今までの全てを主の前に手放す信仰が点検させられるのです。その意味で、年会が初心に返る時となることを願っています。
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会堂(講壇の背後)に併設されている納骨堂は、会堂建設の時に少し面倒な手続きがあって、それを任せられた私は少々苦労した思い出があります。設計士と業者との交渉、市役所への申請書提出、そして最後に保健所の確認、など今思いだしても手探りで大変だったという思い出だけが残っています。日本の、特に田舎の宣教には、お墓の問題が大きく立ち塞がることが多いようです。でも、教会にお墓(納骨堂)があれば教会員の方々は安心できます。
そして今日の礼拝に引き続いて、年会計画で予定されていた「青年フェローシップ」が持たれました。軽い(豪華な?)昼食の時、4人の付き添い人が青年たちと別のテーブルで食事をしながら昔の思い出話に花が咲きました。その一つに、東新町の教会での楽しい教会学校の思い出がありました。父は、子どもたちと遊ぶのが得意(好き?)で、集会前の時間に早く来た子どもたちと思いっきり遊んでいました。
昼食の後、9人でウノをしました。私は、そのゲームの名前は知っていましたが遊ぶのは初めてでした。つまり、ゲームのルールを全く知らないで加わったのです。何とも無謀なチャレンジでした。そのせいか青年たちが次々と上がっていく中、仲間に入れてもらった「大人二名と後期高齢者の私」が上がれずに残って、青年たちの助けを受けながら必死に頑張りました。その様子がおかしかったのか、全員で何度も大笑いしました。これも、父の遺産の一つかも知れません。
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土曜日には、さらに数日前に道路で転んで口の中をケガした方からお電話を頂きました。マンションの出入り口にあった消雪ホースに足をひっかけて転んでしまったとのこと。話の当初は、手も足も骨折することなく大丈夫でした、と笑いながら話してくださったので「あー良かった」と申し上げました。ところが、その後に顔を打って口の中をケガしたと話されたので、それは良かったなどと言っていられない、と何か私たちに出来ることがあるか伺いました。
昨夜は風が強く、寝室もいつもより気温が下がっていたようです。そのせいか、ずぶ濡れになりながらジャングルの中を何かから(誰かから?)逃げ回っている夢を見ました。寒さに震えながら身体が冷え切って、木から木へと飛び移ったり、池に飛び込んだり、何とも身体能力が高い自分に自分で驚きたれ感心したりしながら逃げ続けました。高い木から垂れ下がっている蔦にぶら下がって風を切ったので、さらに身体が冷えてしまいました。
何とか逃げ切ったと思ってホッとした時、ノドが痛くなったことに気が付きました。池に飛び込んだことで風邪を引いたようです。これでは礼拝のご奉仕が出来ないと、どうしようか迷っている時に目が覚めました。目が覚めてから、恐る恐る声を出してみましたが普通に声が出ました。あっ、夢だったのか、とホッとしました。今日の礼拝も、夢とは違って普通にご奉仕が出来ました。礼拝を終わって改めて感謝しました。「あー夢で良かった。」
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それが今年はそんな危険なことが一度もなく、感謝しています。実は、数日前に駐車場の消雪ホースをかたづけようかな、と思ったほどでした。でも何と言ってもまだ2月ですし、次の3月の第一聖日には天気予報に雪だるまが表示されていたこともあってそのままにしてあります。今年の冬は、消雪ホースが大活躍したとは言えません。外出先から帰った時に地下水が出ていると、雪も降っていないのに何で水が出ているの、と家内から何回も抗議されていました。
「暖冬少雪」もここまで来ると本当に心配になります。昨年の夏の酷暑と雨不足で、農家の方はご苦労されたようです。暖冬少雪で喜んでばかりはいられない、と思い知らされました。今年の冬は、さらに雪が少なかったように思います。それだけでなく、青空や日差しも多かったように思います。雪国の冬と言えば、濃い鉛色の厚い雲が低く垂れ込めているのが普通でした。まるで太陽がどこかに行ってしまったような暗いが特色です。
それが、今年はここまで何回も日差しが注いで、居間は暖房を付けなくても暖かくなっていました。足を伸ばしてその日差しを浴びながら、冬の日差しの柔らかさを楽しんでいました。同じ太陽なのに、夏のジリジリ焼けつくようなキツイ日差しと違って、冬の日差しは何とも心地良く感じられます。私の体が冷えているからでしょうか。神様の恵みの日差しも、私の心が冷たく神様に対して固く閉ざしている時こそ、冬の日差しのように柔らかく注がれたと感謝しています。
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ホンの30分前後の買い物でした。夕方、家について車から降りると、頭の上の方で鳥の聞き慣れない鳴き声が聞こえました。見上げると、ゴマ粒程度に見える白鳥がキレイに並んで北の方に向かって飛んでいました。あわててスマホを取り出して写真を撮りましたが、クッキリとは写りませんでした。でも、少しぼやけたスマホの画面で数えると、11羽の白鳥がキレイに並んで飛んでいました。まだ2月なのに、もう北に帰るのか、と見送りました。
今年の冬は、例年になく暖冬少雪でした。(と言っても、まだ完全に冬が終わったわけではありませんから、これからドカッと降る可能性も残っていますが。)ただ雪が少ないというだけでなく、極寒期の2月に何度も抜けるような青空の日が何日もありました。昨日も今日も、夏のギラギラする青とは違う淡く優しい青が一面に広がっていました。午後、文書発送のために出かけましたが、自動車の外気温時計は、17℃を表示していました。
こんなに暖かいなら、白鳥もたまらず北に帰りたくなるだろうと昨日の白鳥のことを思い浮かべました。ただ、昨日の夕方に飛んでいた白鳥は、昨日のうちにどこまで飛んでいけたのだろうか?すぐに夕暮れになって、空が暗くなったらきっと見えずらくて迷わないかな?それとも夜も休まず飛んで行くのか?などと「トリ」とめもなく考えていました。例年ですと、厳しい吹雪の中で道路の凍り付いた圧雪と苦闘しているのに、今年はこんなノンビリしていて良いのかな、と内心感謝していました。
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ところが、今年は2月の気温が全般的に高いとの予報通り、厳しい凍結はありません。今朝起きて三階のベランダを見てみると、雪は全く無く、直径2メートル程度の水たまりがあっただけでした。それも、凍結していないで、そよぐ風に水面が揺れていました。遠くから高速道路を使って出席する方は、道路上は雪がなくても長い橋の上などは、凍っていないように見えても薄い氷が張っていてスリップすることがあるとか聞きますので、その水面を見てホッとしました。
礼拝前の少しの時間、玄関ホールで出席者と挨拶や近況報告を支わしながら、まずは「雪がなくて助かりますね。」と笑顔で挨拶をしました。ほとんどの方が車での出席ですので、雪の壁や凍結がないことを共々に喜びました。中には、雪国の冬というのに長靴ではなくスニーカーで来られた方もいて、早速に「冬なのにスニーカーですか」と突っ込んでしまいました。それに答える方も、嬉しそうに「何しろ、必要が無いので。」と返してくださいました。
2月とは思えない賑やかな礼拝前の挨拶を楽しみました。そんな中、教会の並びにお住まいの方が歩いて来られました。車で来られる方は、せいぜいが20メートル位歩けば玄関ですが、その方は倍ぐらい(と言っても100メートルくらいですが)歩いて来られました。私は思わず「お疲れ様です。」と申し上げました。その方は、ニコニコと「疲れました。」と答えていました。そのステキな笑顔に、今日も雪がなくて良かったと一緒に喜びました。
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それが、今年は雪もほとんどなく、気温もマイナスとなるのが少ないので、礼拝に出席された方々とも喜びを分かち合っています。もし例年のようなパウダースノーが吹きすさぶ朝でしたら出席を自粛する方々(自粛していただきたいと思う方々?)も、続々と出席してこられました。その方々をお迎えする私たちも、早朝からの除雪作業もなく、心からニコニコと皆様をお迎えしました。こんな2月となることが冬の前から分かっていたら、もっと余裕を持って冬を迎えたと思います。
例年の2月と比べると心なしか皆様方とのご挨拶も明るい声で交わしているように感じました。その明るい声の挨拶のアトで、そっと「実は・・・」と深刻な悩みを打ち明けてくださった方も何人かいました。明るい挨拶も感謝ですが、深刻な問題や課題をありのまま打ち明けてくださることは、牧師としてもっと感謝なことです。雪が少なく、凍結もしないことで出席の道が開かれたことで、今日も牧師に問題を打ち明けることが出来たのです。
その問題や課題を聞かせて頂いても、牧師には具体的に助けることはほとんどな区手申し訳なく感じますが、少なくとも一緒に悩み悲しみ祈ることが出来ます。牧師としての年数が多くなるにつれ、兄姉方の悩みを聞かせて頂くことこそ牧師としての一番の特権でアリ喜びではないかと感じるようになりました。2月の厳冬期ですが、あと3回の日曜日も、雪や凍結で兄姉方の出席が阻められることなく、問題や課題を分かち合うことが出来ることを願ってます。
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