長岡教会の方々も年会に出席する私を送り出す時、年会でどのような任命を受けるかドキドキしていますと話しておられました。もしかしたら、内心はワクワクしていたのかも知れません。何年かすると、教会員の方々の緊張感もなくなってきて、ニコニコしながら年会へ送り出してくださるようになりました。でも、年会に出かける私は牧師として慣れないように心がけていました。そして、任命式には主から新しく任命を受けるという緊張感で臨んでいました。
転任は、特に以前のように急な転任は、任命を受ける牧師以上に牧師家族、特に子どもたちに大きな影響を与えるものです。それまで仲良くしていた友だちと突然に別れることになるのです。その悲しみが心にうずいている間に見知らぬ(望まぬ?)新しい地で新しい人間関係を築かなければならないのです。幼少期の心に与える影響は、測り知れないものがあるはずです。いろいろな考え方があるとは思いますが、転任の内示は必要と思います。
年会を前にしてまだ内示を受けていない私は、多分転任はないと思います。でも、年会に出席する心構えとしては、今までの任命から解かれて主の前に集い、主からの新しい任命を受けるという厳粛な思いを大切にしたいと思っています。こういう「一区切り」はとても大切です。主の前に出て自分の至らなかったことを反省する時となるからです。そして、新しく任命を受けるために今までの全てを主の前に手放す信仰が点検させられるのです。その意味で、年会が初心に返る時となることを願っています。
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会堂(講壇の背後)に併設されている納骨堂は、会堂建設の時に少し面倒な手続きがあって、それを任せられた私は少々苦労した思い出があります。設計士と業者との交渉、市役所への申請書提出、そして最後に保健所の確認、など今思いだしても手探りで大変だったという思い出だけが残っています。日本の、特に田舎の宣教には、お墓の問題が大きく立ち塞がることが多いようです。でも、教会にお墓(納骨堂)があれば教会員の方々は安心できます。
そして今日の礼拝に引き続いて、年会計画で予定されていた「青年フェローシップ」が持たれました。軽い(豪華な?)昼食の時、4人の付き添い人が青年たちと別のテーブルで食事をしながら昔の思い出話に花が咲きました。その一つに、東新町の教会での楽しい教会学校の思い出がありました。父は、子どもたちと遊ぶのが得意(好き?)で、集会前の時間に早く来た子どもたちと思いっきり遊んでいました。
昼食の後、9人でウノをしました。私は、そのゲームの名前は知っていましたが遊ぶのは初めてでした。つまり、ゲームのルールを全く知らないで加わったのです。何とも無謀なチャレンジでした。そのせいか青年たちが次々と上がっていく中、仲間に入れてもらった「大人二名と後期高齢者の私」が上がれずに残って、青年たちの助けを受けながら必死に頑張りました。その様子がおかしかったのか、全員で何度も大笑いしました。これも、父の遺産の一つかも知れません。
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土曜日には、さらに数日前に道路で転んで口の中をケガした方からお電話を頂きました。マンションの出入り口にあった消雪ホースに足をひっかけて転んでしまったとのこと。話の当初は、手も足も骨折することなく大丈夫でした、と笑いながら話してくださったので「あー良かった」と申し上げました。ところが、その後に顔を打って口の中をケガしたと話されたので、それは良かったなどと言っていられない、と何か私たちに出来ることがあるか伺いました。
昨夜は風が強く、寝室もいつもより気温が下がっていたようです。そのせいか、ずぶ濡れになりながらジャングルの中を何かから(誰かから?)逃げ回っている夢を見ました。寒さに震えながら身体が冷え切って、木から木へと飛び移ったり、池に飛び込んだり、何とも身体能力が高い自分に自分で驚きたれ感心したりしながら逃げ続けました。高い木から垂れ下がっている蔦にぶら下がって風を切ったので、さらに身体が冷えてしまいました。
何とか逃げ切ったと思ってホッとした時、ノドが痛くなったことに気が付きました。池に飛び込んだことで風邪を引いたようです。これでは礼拝のご奉仕が出来ないと、どうしようか迷っている時に目が覚めました。目が覚めてから、恐る恐る声を出してみましたが普通に声が出ました。あっ、夢だったのか、とホッとしました。今日の礼拝も、夢とは違って普通にご奉仕が出来ました。礼拝を終わって改めて感謝しました。「あー夢で良かった。」
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それが今年はそんな危険なことが一度もなく、感謝しています。実は、数日前に駐車場の消雪ホースをかたづけようかな、と思ったほどでした。でも何と言ってもまだ2月ですし、次の3月の第一聖日には天気予報に雪だるまが表示されていたこともあってそのままにしてあります。今年の冬は、消雪ホースが大活躍したとは言えません。外出先から帰った時に地下水が出ていると、雪も降っていないのに何で水が出ているの、と家内から何回も抗議されていました。
「暖冬少雪」もここまで来ると本当に心配になります。昨年の夏の酷暑と雨不足で、農家の方はご苦労されたようです。暖冬少雪で喜んでばかりはいられない、と思い知らされました。今年の冬は、さらに雪が少なかったように思います。それだけでなく、青空や日差しも多かったように思います。雪国の冬と言えば、濃い鉛色の厚い雲が低く垂れ込めているのが普通でした。まるで太陽がどこかに行ってしまったような暗いが特色です。
それが、今年はここまで何回も日差しが注いで、居間は暖房を付けなくても暖かくなっていました。足を伸ばしてその日差しを浴びながら、冬の日差しの柔らかさを楽しんでいました。同じ太陽なのに、夏のジリジリ焼けつくようなキツイ日差しと違って、冬の日差しは何とも心地良く感じられます。私の体が冷えているからでしょうか。神様の恵みの日差しも、私の心が冷たく神様に対して固く閉ざしている時こそ、冬の日差しのように柔らかく注がれたと感謝しています。
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ホンの30分前後の買い物でした。夕方、家について車から降りると、頭の上の方で鳥の聞き慣れない鳴き声が聞こえました。見上げると、ゴマ粒程度に見える白鳥がキレイに並んで北の方に向かって飛んでいました。あわててスマホを取り出して写真を撮りましたが、クッキリとは写りませんでした。でも、少しぼやけたスマホの画面で数えると、11羽の白鳥がキレイに並んで飛んでいました。まだ2月なのに、もう北に帰るのか、と見送りました。
今年の冬は、例年になく暖冬少雪でした。(と言っても、まだ完全に冬が終わったわけではありませんから、これからドカッと降る可能性も残っていますが。)ただ雪が少ないというだけでなく、極寒期の2月に何度も抜けるような青空の日が何日もありました。昨日も今日も、夏のギラギラする青とは違う淡く優しい青が一面に広がっていました。午後、文書発送のために出かけましたが、自動車の外気温時計は、17℃を表示していました。
こんなに暖かいなら、白鳥もたまらず北に帰りたくなるだろうと昨日の白鳥のことを思い浮かべました。ただ、昨日の夕方に飛んでいた白鳥は、昨日のうちにどこまで飛んでいけたのだろうか?すぐに夕暮れになって、空が暗くなったらきっと見えずらくて迷わないかな?それとも夜も休まず飛んで行くのか?などと「トリ」とめもなく考えていました。例年ですと、厳しい吹雪の中で道路の凍り付いた圧雪と苦闘しているのに、今年はこんなノンビリしていて良いのかな、と内心感謝していました。
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ところが、今年は2月の気温が全般的に高いとの予報通り、厳しい凍結はありません。今朝起きて三階のベランダを見てみると、雪は全く無く、直径2メートル程度の水たまりがあっただけでした。それも、凍結していないで、そよぐ風に水面が揺れていました。遠くから高速道路を使って出席する方は、道路上は雪がなくても長い橋の上などは、凍っていないように見えても薄い氷が張っていてスリップすることがあるとか聞きますので、その水面を見てホッとしました。
礼拝前の少しの時間、玄関ホールで出席者と挨拶や近況報告を支わしながら、まずは「雪がなくて助かりますね。」と笑顔で挨拶をしました。ほとんどの方が車での出席ですので、雪の壁や凍結がないことを共々に喜びました。中には、雪国の冬というのに長靴ではなくスニーカーで来られた方もいて、早速に「冬なのにスニーカーですか」と突っ込んでしまいました。それに答える方も、嬉しそうに「何しろ、必要が無いので。」と返してくださいました。
2月とは思えない賑やかな礼拝前の挨拶を楽しみました。そんな中、教会の並びにお住まいの方が歩いて来られました。車で来られる方は、せいぜいが20メートル位歩けば玄関ですが、その方は倍ぐらい(と言っても100メートルくらいですが)歩いて来られました。私は思わず「お疲れ様です。」と申し上げました。その方は、ニコニコと「疲れました。」と答えていました。そのステキな笑顔に、今日も雪がなくて良かったと一緒に喜びました。
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それが、今年は雪もほとんどなく、気温もマイナスとなるのが少ないので、礼拝に出席された方々とも喜びを分かち合っています。もし例年のようなパウダースノーが吹きすさぶ朝でしたら出席を自粛する方々(自粛していただきたいと思う方々?)も、続々と出席してこられました。その方々をお迎えする私たちも、早朝からの除雪作業もなく、心からニコニコと皆様をお迎えしました。こんな2月となることが冬の前から分かっていたら、もっと余裕を持って冬を迎えたと思います。
例年の2月と比べると心なしか皆様方とのご挨拶も明るい声で交わしているように感じました。その明るい声の挨拶のアトで、そっと「実は・・・」と深刻な悩みを打ち明けてくださった方も何人かいました。明るい挨拶も感謝ですが、深刻な問題や課題をありのまま打ち明けてくださることは、牧師としてもっと感謝なことです。雪が少なく、凍結もしないことで出席の道が開かれたことで、今日も牧師に問題を打ち明けることが出来たのです。
その問題や課題を聞かせて頂いても、牧師には具体的に助けることはほとんどな区手申し訳なく感じますが、少なくとも一緒に悩み悲しみ祈ることが出来ます。牧師としての年数が多くなるにつれ、兄姉方の悩みを聞かせて頂くことこそ牧師としての一番の特権でアリ喜びではないかと感じるようになりました。2月の厳冬期ですが、あと3回の日曜日も、雪や凍結で兄姉方の出席が阻められることなく、問題や課題を分かち合うことが出来ることを願ってます。
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最近は自分の年齢の影響もあって、そんなに頑張れなくなりました。教会員の方々にも、とにかくご無理なさらないで「休んでください」とお願いしています。今日も、天気予報を眺めたり、気温の予想を見たりして、そんなに大雪にはなりそうではないし、気温も道路がバリバリに凍結するような気温でもないかな、とホッとしながらも、何人かの教会員の顔を思い浮かべて、ムリしないでいただきたいな、と思っていました。
今日は、積雪も道路事情も何とか大丈夫そうでホッとして朝を迎えました。玄関で教会員の方々をお迎えしていると、すでに欠席届が出ていた方も「雪がなかったのでガンバッテ出てきました」とニコニコして来てくださいました。嬉しいサプライズです。その喜びは、雪国ならではの喜びだと思います。それでも、1月中に教会総会を開催するように、との私たちの教団の協議・条例は、関東を中心とした考え方で作られていると、改めて「反骨精神」がムクムクと頭をもたげています。
そんなこんなでしたが、教会総会礼拝を無事に越えることが出来ました。資料中に、私のミスプリがありましたが、教会員の方々の穏やかなご指摘をいただき、またしても温かく包み込む愛を覚えて感謝しました。今日の礼拝の中でも申し上げたことですが、最近は間違いや過ちが多く反省しきりですが、その度におかしなことですが感謝しています。それは、こんな至らない者を神様は見捨てずに忍耐してくださっているからです。改めて、心から感謝を覚えた教会総会礼拝でした。
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実は、このシュトーレンはいつも行っているパン屋さんのものです。12月に入るとお店にたくさん並んでいます。もう何年も前から並んでいました。私は、食べたいと思いながらも、なかなかお願いできずに見ているだけでした。シュトーレンの棚に貼られた説明書を、これ見よがしにジッと読んで家内にアピールしましたが、全く気が付いてくれずに何年かが過ぎました。三年ほど前に、やっと勇気を出して買ってもらいました。
家内は、こういうお菓子類はほとんど興味がないので、買ってもほとんど私が食べることになります。最初に買った時も、家内は切って出してくれるだけで食べる様子はありませんでした。私はやっと食べられると喜んで出されたお皿を見てビックリしました。シュトーレンが、1.5〜2センチ程の、パウンドケーキ並の厚さに切られて乗っていました。それ以後も、お茶の時間になると厚めのシュトーレンが出てきました。当然、クリスマス前に食べきりました。
昨年のシュトーレンの時に、私が家内に丁寧に説明してやっとシュトーレンの正式な?食べ方をするようになりました。ところが年末からの忙しさでシュトーレンを食べるヒマと余裕がありませんでした。それでここまでシュトーレンが残っていたのです。その残り物のシュトーレンを口にした時、12月に食べていたのとは違うしっとりさがありました。これこそがシュトーレンの楽しみ方と感動しました。何事も「熟成」が大切です。説教の準備にも当てはまると自戒しました。
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今回、その言葉がまたしても頭に浮かんできたのは、この「こーひーぶれいく」を書くのをすっかり忘れていたからです。いえいえ、忘れていたことすら気が付かず、指摘されて初めて書いていなかったことに気が付いたのです。まさに、すっかり忘却して完全に忘れ去っていたようです。普段は、日曜日の夜に書くことにしていますが、実はその時間に別の用事が入って、それに時間を取られ、やっと終わった時にはホッとして、「こーひーぶれいく」のことは頭から消えていたようです。
最近は、家内と二人で何かというと忘れ物探しをしています。一日の半分以上の時間を探し物に費やしているのではないかと思うほどです。家内が書斎に入ってきて、ウロウロしながら「私、何を探しに来たのかしら?」と尋ねられることもあります。もちろんその逆もしょっちゅうです。そんなことを真剣に悩むと負のスパイラルに引きずり込まれそうになるので、二人で「これを健忘症と言うんだね。健やかに忘れるって良いことだね。」と笑うことにしています。
それにしても、人の記憶(力)とは不思議なものです。覚えておかなければならないことはなかなか覚えられず、またすぐに忘れてしまい、覚えなくても良いことは結構覚えているのですから。その点、神様は完ぺきな記憶力はもちろんのこと、完ぺきな忘却力も持っておられることは感謝です。私たちが何度も失敗し過ちを冒しても、小さな「ゴメンナサイ」の祈りで完全に忘れてくださるからです。まさに「忘却とは忘れ去ること」です。
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約20年前の中越地震の時とほぼ同じような揺れでした。その揺れを感じながら、私は自分の書斎の様子が気になりました。20年前の時は私は書斎にいて建物全体が縄跳びをしたりフラフープをしているような感じで崩れ落ちるのではないかと感じ、妙に冷静に「倒れたら片付けは大変だな」と考えていました。揺れが収まると、書斎は棚が倒れたり、本や書類が本棚から落ちてヒザまで埋まって、足の踏み場がなく出るに出られない状況でした。
前回の地震以降、本は10分の1程度に減らしていたので、今回も同じように本棚から本が全部落ちていましたが余裕でその散乱状況を眺めて「なんとかなるさ」と落ち着いていました。その散乱状況の中で、机の周りだけをチョコチョコと片付けて、今日の第一主日礼拝の準備に取りかかりました。机の上に置いてあった書類や本などが全部落ちていたので、今までになく広いスペースで準備が出来ました。横や後を見ればゴチャゴチャなのですが、あえて見ないようにしています。
これから教会総会の準備に本格的に取りかからなければなりません。書斎の片付けは2月以降にする予定です。それまでは机の周りはゴチャゴチャのままでガマンしなければなりません。でも、ある意味、それもまた私らしくて良いかな?と思っています。教会員の方にも、そのゴチャゴチャの書斎の写真を見て頂いて、私の頭の中と同じです、と言って笑ってもらいました。こんな私ですが、今年も人と比べずに自分らしくコツコツ(ゴチャゴチャ)と行こうと思っています。
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年末が聖日で元旦礼拝が月曜日だと言うこともあって、もともと準備の段階から曜日感覚が狂っていましたが、ご葬儀が重なったこともあってさらに曜日の感覚がおかしくなっていました。この数日、何度も「今日は何日?今日は何曜日?」と家内と確認し合ってきました。もっとも、そんな会話はいつものことですが、この数日は特にズレていました。31日の最終礼拝とご葬儀を終えてホッとしていた時、スマホを見ていた家内が「あら、今日はまだ?」と言いました。
この「こーひーぶれいく」のコラムは、聖日の礼拝後、事務の仕事を片付けてから、その日の夕方から夜に書くようにしていました。31日の奉仕を終え、私の気持ちの中には次の元旦礼拝に心を向けていました。それが、いつも「こーひーぶれいく」を書いている聖日の夕方とは思いも至りませんでした。家内の方が曜日的には冷静のようで、いつもの聖日夜のように、私の「こーひーぶれいく」を確認したようです。
家内に、今回はチョット待って、と言いながら元旦礼拝を終えたら新年第一回の、とりとめもない「こーひーぶれいく」を書こうと思っていました。そんな時、夕方4時過ぎにとんでもない地震に襲われました。20年近く前の中越地震と同じような激しい揺れでした。台所の鍋が大揺れで中身が飛び出したり、私の書斎の本が散乱したり、、、でも大した被害がなく感謝しました。能登地方などの方々が早く回復するように祈っています。
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昨日の午後まではちょっと心配でした。でも、今朝は雪が止んでいてうっすらと青空がのぞいていました。これなら遠くから来られる方々も大丈夫かな、とホッとしながら礼拝に臨みました。今年は、いろいろと想定外の出来事があって、キャンドルサービスのプログラムは「ぶっつけ本番」でした。それぞれの担当者は、緊張しながらも真実にご奉仕をしてくださって、とても良いキャンドルサービスとなったと思います。
私自身、今までの反省として礼拝・キャンドルサービスのプログラムがスムーズに進行するように、ということに気が向きすぎて、キャンドルサービスの賛美を十分に味わっていなかったという思いがあります。それで、今年は今まで以上に私自身がキャンドルサービスの音楽ご奉仕を十分に楽しもうと思って座席に着いていました。そのこともあって、今年のキャンドルサービスは今まで以上に心に響いてきました。この賛美の一つでも飼い葉桶のイエス様に献げられていたら、と感傷的な思いも抱きました。
そして、午後はいつもの礼拝のようにチョットだけ後始末の事務や雑用仕事などをして過ごし、早めの夕食を摂りました。家内が土曜日からの作業で疲れていたので簡単な食事でしたが、最後に「シュトーレン」を味わいました。薄く切って長い期間クリスマスを楽しむものだということを最近知りました。その複雑な味を味わいながら、今年も多くの方々の一生懸命なご奉仕でキャンドルサービスを守ることが出来たことを感謝しました。
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教会員の中にも、会社からの帰宅の道が車で動かず、普段なら20分もかからないのに、アチコチと遠回りして何時間もかけて帰宅した方もいました。最悪の方は、一晩中車に閉じ込められた方もいました。会社から帰宅途中で渋滞に巻き込まれ、自宅まで歩いても帰れそうな所でウンともスンとも動かなかったとか。そこに車を置いて帰ろうと思ったけれども、いつ動くか分からないのでひたすらガマンして待ち続けたとか。
そんな記憶がまだ新しいので、今日から明日にかけての暴風雪の予報には皆さん敏感に反応したようです。私たちも来会する方々のことを心配しました。車で1時間以上もかかる方も含めて何人かの方のことが案じられました。それで、今朝はその方々に電話をかけることで奉仕が始まりました。ゴォーッという強風が会堂建物を揺する中で、申し訳ありませんが今日の礼拝出席は自重してください、とのお願いの電話です。
それでも礼拝には比較的近くの方が多く励んで下さいました。礼拝後には青年会のクリスマス会も開催できました。午後3時頃から本格的な降雪という予報もあって戸外をチラチラ気にしていました。結果として、昨年のような大事にはならずにホッとしました。これから3月の初めまで、雪国の教会としては降雪予報に細心の注意を払って過ごします。もし「空振り」となっても、勇気をもって思い切って「自重」をお願いしようと思っています。何よりも、主が守ってくださるように祈りつつ。
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お昼に納豆かけ御飯を食べたので、もう御飯は食べたいとは思いませんでした。(この所、余り御飯が食べたいと思わず、せいぜい一日一回で御飯はたくさんなので)それで頭の中でアレコレと食べ物を思い浮かべながら車に乗っていました。郵便局で投函したあと、フッとサンドイッチで良いか、と思いつきました。それで夕食には、私の希望通りサンドイッチが出てきました。挟むように出ていたトマトの薄切りを見て思いだしたことがありました。
アメリカでの最初の二年間、大学の寮で生活していました。そこで親しくなった学生が、週末に帰省する時に私を誘ってくれました。寮ではシャワーしかありませんでしたから、そのお宅でバスに入れるのが楽しみでした。と言っても、膝小僧はお湯から出てしまうので肩までしっかり浸かりたい私にしてはチョット残念でした。そのお宅のお父さんが仕事に出る時、ランチにトマトサンドイッチを包んでいることがありました。
米国に行って驚いたことの一つに、サンドイッチのハムの多さでした。日本では一二枚が普通ですが、米国では100グラム以上が当たり前のようでした。そんな中で、トマトだけのサンドイッチはチョット驚きでした。それほど生活が困難だったのです。でも、そんな生活の中で週末に私を招いて歓迎してくれたのです。これまでの人生で、どれだけの方の温かい犠牲を受けたか、と改めて感謝しました。今日のサンドイッチは特別な味でした。
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実は、家内はハンバーガーは苦手です。それを知りながらハンバーガーを提案(お願い?)したのは、今日は家内が夕食を作る元気がないと思ったからです。というのは、家内が先週に花壇の花を新しくした時、鼻風邪を引いたらしいのです。何とか礼拝の伴奏などは咳に苦しめられながらも責任を果たしてくれました。そんな様子を見てご苦労様と思った私は、夕食の心配をしなくて済むようにハンバーガーを提案したのです。具合の悪い時に、家内が食べられないメニューを提案するのに気が引けましたが、ずっと食べたいと思っいたので思い切って提案しました。
50年前に初めて米国に行った時、当時の(米国サイズ?の)「ビックマック」の大きさにビックリしました。一人で食べるのが精一杯の大きさだったような気がします。確か、クリスマス休暇を早めに切り上げてキャンパスに戻った時、プエルトリコからの留学生がウロウロしていたので話しかけると、カフェテリアが閉まっていてお金もないので二三日食べていないとスペイン語まじりに話してくれました。それで私もなけなしのお金でビックマックを一つ買って、二人で分けて食べたことがありました。
今日のハンバーガーは、ビックマックではありません。(マックのお店でもありません)この大きさなら一つでは足りないかな?とレジでもう一つ頼もうかと思いましたが言い出せませんでした。でも、家に帰って食べて見ると、あのビックマックの大きさには到底及ばない、小さな(普通サイズ?)ハンバーガーでしたが、一個で十分にお腹一杯になりました。改めて自分が歳を取ったことを実感しました。こんな私がまだ奉仕が出来ることを感謝しています。
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講壇に上がって礼拝を始めましたが、息が上がるし心臓はドキドキするし大変でした。年齢との関係で言えば、上がった息が落ち着くのが以前よりもずっと時間がかかる気がしました。頌栄が終わり、次の賛美二曲の間も息が上がっていて落ち着いて賛美が出来ませんでした。年を取ると言うことは、様々な面で影響するものと改めて考えさせられました。そう言えば、私もあと二ヶ月で正式に「後期高齢者」に認定されるのですから、多少息が上がっても当然だと思います。
そんな私が、今月も主と教会に仕えることが出来たことは本当に感謝なこととその充実感をかみしめています。もちろん、年齢から来る弱さや欠けで、教会の皆さん方が期待するほどのことは出来なくなっています。自分では準備万端と思っていても、何かと欠けが多くなっています。牧師としての一番の使命である聖書の学びも、毎週毎週「自分は何と聖書のことが分かっていないんだろう」と愕然としながら説教の準備をしています。
今日も、文字通り「七転八倒」しながら準備をして礼拝に臨みました。それが忘れ物騒動で頭の中も気持ちもバタバタしたような状況でした。いつも以上に自分は人の前に立つのが苦手という思いを強くしながら奉仕をしました。礼拝が終わって、午後いつものように文書発送のために出かけた時、こんな至らない者が主に用いていただいているという思いを強くしました。郵便局に向かって運転しながら、何とも言えない充実感が湧き上がって来ました。感謝な11月の締めくくりとなりました。
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手が震えそうになりながらあわてて週報をアップしました。何かひと言お詫びか説明を書こうと思いましたが、その時間も遅くなると思ってとにかくアップしました。毎週、数十人の方が見ていてくださるようで感謝しています。きっと今週は何かあったのかな?とご心配くださったかもしれないと申し訳なく思いました。長岡教会の状況をご存じの方には、そのように推測する理由があるからです。余計に私の単純なミスに申し訳なく思いました。
あわててアップしたあと、見事にきれいさっぱり忘れていた自分に驚いてしまいました。そして、これも年齢のせいかと自分の衰えを実感しました。来年の1月には正式に「後期高齢者」になりますが、心のどこかには「まだまだそんな歳ではない」という思いが潜んでいます。そんな隠れた思い上がりを打ち砕かれる今回のポカです。そして、これからはますますこのようなミスが多くなり、皆様方にご迷惑をおかけすることとあらかじめお詫び申し上げます。
この私の現状は、いわゆる「衰えと共に守備範囲が狭くなっていく」と言うことだと思います。今までは三塁を守っているのにライトフライも追いかけていたように思います。ましてや教会の働きは、大牧者なる主が全てを引き受けていてくださるのです。私が、自分の守備範囲を超えてチョロチョロしてはいけないと思います。これからは、もっと守備範囲が狭くなりますが、欠けたところを教会員皆様に助けていただき、何よりも主にカバーしていただくことにしたいと思います。
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それ以来ずっと頭のスミッコに修理のことがありました。30年以上も教会全体の管理を引き受けてくださっていた方が昨年引退されたので、どこに頼んで良いか全く見当が付かなかったので困っていました。10月になって、まだまだ温かい気温が続いていましたが早く業者を探さなければ、とネットで調べました。ボイラーの専門業者はなかなか見つからなかったのですが、もしかしたら、という業者が近くにあることが分かって飛び込みでお願いしました。
今のボイラーを設置してから20年以上も経過していることもあって、最悪は交換かと覚悟をしていました。でも、業者の方がいろいろ調べてくださり、点火装置の交換で済みそうとのことで10月中に交換してくださいました。その頃もまだ気温が高い日が続いていましたが、昨日今日でグッと気温が下がっていきました。でも、ボイラーが直っているので安心して今日を迎え、朝8時にスイッチを入れました。「ボッ」という音と共に点火しました。
これまで何十年も耳にしてきた聞き慣れた音でしたが、今年は格別な響きのように聞こえました。その後、戸外に出て教会員の方がどのような冷気の中を集ってこられるのか体験してみました。涼しいというより、ピリッとした冷気でした。でも、今日は床暖房が教会員の方々を温かく迎えてくれる、と安心しました。足もとがホンワカ温かいのは気持ちの良いものです。教会の雰囲気も、主の恵みによってホンワカ温かいものでありたいと願っています。
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雪国では、これから鉛色の雲が厚く垂れ込め、とんでもない大きな雷鳴が鳴り響く季節です。礼拝出席だけでなく、毎日の通勤通学が守られるようにも祈らなければ、と思っています。先週の火曜日と木曜日には、K山さんご夫妻が教会の植栽の雪囲いをしてくださいました。ドウダンツツジは、これから本格的に紅葉する時期ですが、竹と縄に囲まれて窮屈そうになりました。でも、葉が落ちてからではみぞれの中での作業が大変ですので、毎年この時期に雪囲いをします。
これからの日々は、空を見上げては雪の心配をします。始めから今年の冬の雪の量が決まっていればそれほど心配しないでしょうが、明日どれくらい降るか分からないのが問題です。今日はまだ除雪しなくても良さそうなぐらいの雪でも、明日のことを考えると、今日中に少しでもしておいた方が良いな、とスコップを手に外に出て行くのです。明日のことは、誰一人として確かなことは言えません。みんなが未知へと踏み出していくのです。
今年の残された「アト二ヶ月」も、その意味では不安に満ちた未知の世界が広がっています。でも、その不安一杯の先行きですが、どんなにガンバッテも私にはどうにもならないことがほとんどだと言うことも事実です。いわば、私の守備範囲を超えた課題や困難がたくさん、という感じです。私たち信仰者は、その守備範囲を超えた課題に対して、神様に期待することが出来ることは感謝なことです。アト二ヶ月、不安一杯ですが、だからこそ神様に期待して行きたいと願っています。
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今日の伝道礼拝では、前の二回と同様、信仰の証しと特別音楽が中心のプログラムでした。今回は、それに加えてピアノソロの演奏がありました。ニュースの表現を借りると「80代」のご婦人が、私たちに「内緒」て集会でピアノを演奏することを「夢」として長い期間コツコツと練習をしてこられました。今回は、そのピアノソロの奉仕がありました。「アメージンググレイス」と「主よ、人の望みの喜びよ」です。一同感動しました。
出席者一同が、我がこととして緊張感一杯で演奏に耳を傾けました。途中で詰まって少し音が途切れたりした時には、みんなが手に汗しながら心で「ガンバレ」と声援を送りながら固唾をのんでいました。音が繋がるとホッとした空気が会堂全体に流れました。演奏が終わった時には、一同が緊張感から解き放たれた心地良い疲れを感じながらも、感動の拍手が湧き起こりました。ご本人からすると、練習の方がずっと上手く行って残念だったかも知れませんが、主への愛を感じるご奉仕に感謝しました。
そんな感動を覚えた伝道礼拝の前後に、教会員の方々と近況の挨拶や祈りの課題を分かち合いました。ご近所でクマが出たとニュースが言っていた方に、気を付けてくださいと様子を伺うと、クマもさることながら家の周りでキツネが出るとおっしゃっていました。すると、もう一人の方は、近くでサルが出たと話していました。長岡教会の会員の方々の現実を知らされ、その現実に生きる力となる恵みが豊に注がれるように祈る使命を痛感しました。
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もっと前(20年から30年ほど前)には、二泊三日でじっくりと聖書のメッセージに耳を傾ける「聖会」を開催していました。しかし、徐々に参加者の年齢(そして、教区の牧師の年齢も)が上がって、期間を一泊二日に短縮しました。それでも、年々参加者が減少して聖会としての維持が難しくなっていました。そこにコロナ禍が起こって、県をまたいでの対面の集会が不可能になりました。それでも何とかして聖会の恵みを維持したいと、DVDによる聖会となりました。
今年の聖会は、奈良県の高田教会の南場先生を講師にお迎え(と言っても、DVDで)して、北越教区の七教会が同じ聖会メッセージに与りました。個人的には、南場先生とは数えるほどしか話をしたことがありませんが、とても穏健な人柄に敬意を抱いていました。今年の聖会では、預言者サムエルが気分を害するような(気分を害しても仕方がないような)状況になったとき、その信仰の実質が試されたというところから、キヨメの信仰の実践を紹介してくださいました。
「キヨメの信仰とは何か」について多くが語られていますが、その実践はまだまだ探求が必要だと感じています。三浦綾子さんが「愛について語っても、それで愛することが出来るようになるとは限らない」というようなことを書いていました。私たちの信仰についても、全く同じことが言えると思います。その意味で、今年の聖会は「実際面」が強調されていたことに感謝しました。キヨメの信仰について知っているだけでなく、キヨメに生きる者となりたいと強く願いました。
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それにしても季節が急に進んでいきます。ついこの前までは「危険な暑さ」「不要不急な外出は控えて」とニュースがしきりに報じていました。それが、そろそろ暖房を考えなければ、という程に空気が涼しくなってきました。実は、教会の床暖房用のボイラーが三月末にパタッと止まっていたのです。修理なのか買い換えなのか心配していましたが、先日、業者の方が修理してくださり、いつでもボイラーは使えるようになっています。
10月の第一週は、半袖で講壇に立ちましたが、先週からピチッとスーツを着て講壇に立っています。濃紺のスーツですので、見た目はスッキリしたように見えるようです。礼拝にご出席の方から「先生、少し痩せましたか?」と尋ねられました。夏からずっと「太らないように」と心がけていますが、「痩せた」という程には体重は減っていません。体重計に載る度に、こんなに気を付けているのに、とガッカリしたり、この体重計は壊れていると思ったりしています。
礼拝を越えて、県外に住んでいる姉とライン・メールでやりとりしたのですが、その時も「痩せた?」と聞かれました。そのことを家内の言うと、私の顔をのぞき込んでジーッと見つめて頭をかしげながらノーコメントでした。実は、金曜日に風邪気味でいつもより早めに休みました。でも、そのお陰で土曜日からは頭痛もなく快調です。皆さんに痩せたと見えるほど身体もスッキリ締まって(?)いよいよ冬の除雪に向かって準備万端整った、と決意を新しくしました。
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その中で、ギリシャ語を学んだ教師は格別に心に残っています。確か、彼はまだセミナリーの学生でありながら「助手」としてギリシャ語を教えていました。すでに他のカレッジでギリシャ語の学位を取っていたのだと思います。私は、英語の能力も十分でない日本人で、難しいギリシャ語を英語で学ぶという無謀なチャレンジをしていました。そんな私を励まして、拙い訳文を「その訳はイイネ。」と笑顔でコメントをしてくださいました。
その教師とは、年齢も近く、また身長もほぼ私と同じで、二メートル近い教授たちが多かった中ではとても親しみを感じました。彼はその後博士過程で学んだ後、セミナリーに戻って新約学を教えていました。やがて学部長としてセミナリーの発展充実にも大きな力を発揮したと聞いていました。その紹介文に載った彼の写真は、私がギリシャ語を学んでいた時と全く変わらず、おだやかな笑顔でとても親しみを覚えていました。
すでにセミナリーの学部長は辞したことは聞いていました。数ヶ月前には、彼がガンで闘病していたが、積極的な治療をやめる決断をして、自分の葬儀について家族に希望を伝えたとも聞きました。その葬儀は、御子を十字架に犠牲にするほど愛してくださった神様を心から賛美する時としてほしい、とのことでした。その遺言通りに、葬儀では心一杯神様がほめたたえられた、とその報告は締めくくられていました。そんな恩師に教えられたことを感謝しました。
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まだ子どもだった私には、「ナガオカ」がどういう所なのか全く想像も出来ませんでした。慌ただしく引越の準備をして「ひっそり」と十和田を後にしました。「ナガオカ」は、それまでの十和田教会と違って両隣がピッタリとくっついて建てられている「普通の民家」でした。最初に両親から注意されたのが「大きな声を出してはいけません。隣に聞こえるから。」でした。それと「二階はソーッと歩きなさい。床が抜けるから。」でした。
そんな「ナガオカ」教会の玄関先に大きな渋柿の木がありました。春先は、たくさんの実が落ちたり毛虫で大変でしたが、秋になると「樽柿」の大きな実がなりました。秋になって少しずつ色づき始めるとワクワクして眺めていました。ところが、またまた両親からキツク注意されました。これは「大家さん」の柿の木だから勝手に採ってはいけません。その「大家さん」は、当時のナガオカでは大きな工場(の社長さん?)でした。
毎月の家賃は、その会社の社員の方が集金に来ました。ある月のこと、集金の方が来ても家賃を払えなかった母は、息を潜めて身を隠して「居留守」を使ったという話は我が家の語りぐさとなっています。そんな我が家ですから、玄関先の色づいた柿の実は、何とも魅力的に見えました。玄関の下屋に上ると手が届く実を何個かいただき、真っ赤に熟すまで待ってスプーンで食べました。今でも柿の木を見ると、アノ時の柿の味がよみがえってきます。
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少し遅れて出てきた家内と車に乗ってから、その句を家内に披露しました。早速に、季語が二つじゃない?と適切な指摘をされました。あっそうか、と私は作り直そうと考えながら車に乗っていました。結局の所、郵便局に着くまでに良いアイデアが浮かばなかったので、俳句はあきらめました。これも、テレビの俳句の番組の影響でしょうか。最近は演出臭が強く感じられて見なくなりましたが、以前はその番組をしばしば見ていました。
特に、あまり出来が良くない俳句を講師が添削する時の言葉遣いの指導がおもしろく見ていました。説教も、ある意味では適切な表現が求められ、毎回苦闘していますので、少しは参考になるかと思って見ていました。もっとも、説教が全て五七調で語ったとしたら、それは説教と言うよりも講談のようになってしまうと思います。なぜ、こんなことを書いているのかと言いますと、私の火曜日の予定表に「俳句会」と書かれているからです。
最近はすぐに忘れてしまうので、出来る限りスマホの予定表に書き込むようにしています。今週の火曜日も「きょうくかい」が予定されていますので、そのように打ち込みました。それをスマホが「今日句会」と、まるでその日に俳句会があるように変換したのです。それ以来、妙なプレッシャーで、何か一句詠まなければならないと悩んでいます。もちろん、火曜日にあるのは「俳句会」のことではなく「教区会」のことです。楽しい時を願っています。
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数日前から、朝晩の空気にホンの少し秋を感じていましたが、今日は35度を超える残暑と言うには暑すぎる日でした。体調を崩している方も多く、欠席の方のことを案じながらの礼拝でした。私自身も、秋風を感じ始めたトタンに夏の疲れがドッと出て、イマイチ元気が出ないような感じです。この所は、金曜日の夜には説教の原稿が8割方出来ていて、土曜日には何度か見直すようになっていました。
もっとも、時には、その見直しの時に心に納得がいかず、大幅に書き直すこともありますが、だいたいは土曜日の午前中には説教の準備が終わっていました。でも、今回は、金曜日に机に向かっても何とも集中力が出ませんでした。焦れば焦るほど、頭の中はゴチャゴチャ、というよりも空っぽ?のような状況でした。仕方なく、土曜日にまとめることにして金曜日は休みました。そのことが気になって、金曜日の夜はなかなか寝付けませんでした。
幸いにも、寝付けないままに説教のまとめを思い巡らしている時に、フッと一つのことが頭に浮かび(神様からの助け舟?)土曜日にはいつもとは違ってスムーズに説教の準備が進みました。説教の準備には毎週新鮮に苦闘しますが、その苦闘していっこうに準備が進まない時こそ、振り返って見ると主がすぐ側にいてくださることを感じる幸いな時と思います。礼拝の賛美歌を選ぶ時も、なかなか決まらない時こそ、主を近くに感じます。
いつものように至らない奉仕ですが、今日も礼拝のご奉仕をさせて頂き、主が用いて下さったことを感謝しています。そんなことを思い巡らして感傷に浸りながら外に出てみると、前の工場の塀に赤とんぼが止まっていました。厳しい暑さの一日でしたが、着実に秋が来ていることを教えてくれました。短い秋を越えて、もうすぐ冬に向かいますが、ひと足ひと足主と共に歩んで行けば大丈夫、と励まされたようにも思いました。
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この4年で、社会も私たちの教会も様々と変わりました。それでも、今回のチャペルコンサートに、多くの来会者が与えられたことは感謝です。残してくださったアンケートを見ると、4年ぶりの開催をとても喜んでくださっていることが感じられました。また、新聞折り込みのチラシから、初めて来会された方もおられて私たちは大いに励まされました。小さな働きですが、これからもコツコツと継続していきたいと思います。
このような特集では、牧師は講師の方々と親しく交流を持つことが与えられてとても感謝です。今回も、9日の夕食と礼拝後の簡単な昼食の時に、ゆっくりと語らう時が与えられました。9日の夕食時には、どういう所からそういう話しになったのか覚えていませんが、私たち夫婦の結婚に至る経緯が話題になりました。もう半世紀近くのことですが、記憶のタンスにはチャンと残っていて、ありのままをお話しして感心されたり大笑いをしたりしました。
そこで私たちが強調したのは、私たち夫婦は性格も趣味も、全くと言って良いほど共通点がないと言うことでした。私たちの結婚をアレンジした父(主任牧師)が、私たちをドライブデートに送り出した時のこともお話ししました。まったく話題がなく、とにかく暗い雰囲気の、少しも楽しくなかったデートだったと大笑いしました。講師の方が、気の毒に思ったのか、きっと神様が背中を押してくださったのでしょう、とフォローしてくださいまた。いまだに神様から背中を押されっぱなしです。神様に感謝しています。
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