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牧師のこーひーぶれいく

歌丸さん
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     私は、子どもの頃から落語とか漫才とかが好きでした。高校生までテレビがなかったので、真空管式のラジオのスピーカーに耳をくっつけて聞いていました。「寿限無」を覚えようと思いましたが、当時は新聞も購読していなかったのでラジオの番組表で「寿限無」が放送されるかどうか分からず、最初の少しだけしか覚えられませんでした。もっとも、あの長い名前を全部覚えられなかったのは、私の記憶力の問題だったと思います。

     

     伝道者になってから、先輩の伝道者から、説教者には落語が良い勉強になる、という話しを聞きました。特に、テレビなどで観るよりも、寄席に行った方がずっと良い勉強になる、とも聞きました。それは、落語の本題に入る前の枕の部分で、お客さんの心をつかむ技量に違いがあり、上手い落語家は客席全体をしっかりとつかんで落語本題に引きこんでいくとか。その先輩は、講壇で左右にカラダを小刻みに揺すりながら、いかにも緊張している雰囲気を出していました。

     

     私の名前には「間」の字が入っていますが、私は「間の取り方」がとても下手です。緊張すると特に早口になり、機関銃のようにダッダッダッと話してしまいます。家内にはいつも、その早口に感心されます。私も寄席に行って、名人の間の取り方を勉強したいと思い続けてきましたが、いまだに実現していません。今でもテレビで落語を観る時は純粋に楽しんでしまいますので、きっと寄席に行っても「間の取り方」の勉強よりも、腹を抱えて笑ってしまうことでしょう。

     

     落語家と言えば、この所「歌丸さん」のことが話題になっています。私は歌丸さんの落語はあまりに聞いたことがありません。ニュースで観ると、晩年は健康を害しながら高座に上り続けたようです。特に、酸素を付けながら落語を演じている姿に感心させられています。もし自分がそのような健康状態になった時、果たして私は講壇に立つだろうか、と悩んでいます。今回のこの「こーひーぶれいく」は、丁度700回目です。少し前までは、これを区切りに書くのをやめようと思っていました。でも、まだ酸素を付けるほどではないので、もう少し続けようかな、と思っています。

     

    | - | 21:31 | comments(1) | - | - | - |
    苦手意識
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       牧師は、様々な仕事をこなさなければなりません。時には大工仕事のような雑用もあります。ただ私の二代前は、父の方も母の方も職人でしたので、コツコツと打ち込める大工仕事のような雑用は好きです。でも、賛美に関することや、数字が関わる会計事務などは大の苦手です。幸いに、賛美に関しては専門家と言っても良いほどの教会員の方が居ますので、全てお任せしていますし、会計事務は家内がキチッとしていてくれますので感謝しています。

       

       私たちの教会では、もう三年以上も「読書会」の集いを持っています。私は、子どもの頃から本を読むのが大の苦手でした。母親から世界名作集を渡されても、縁側で立ったままで2〜3ページをサッと読んで、飛び出していきました。そんな私ですが、教会員の方々の助けをいただいて、ここまで続いています。このほど「読書会」のメンバーから、新しいメンバーを迎えるために積極的に案内をしたいので、新しいポスターを作って欲しいと依頼されました。そのポスターの条件は「目立つもの」ということでした。

       

       私は小学生の頃、通知表の図画工作で「2」を取ったことがあるほど美術関係は苦手でした。母は、その「2」を取る前に私が上手く絵を描いて、それを県の展覧会に出すために大きな画用紙に書き直させられたことですっかり図画工作が嫌いになったからだ、と慰めてくれます。でも、苦手なものは苦手です。そんな私に、とにかく「目立つポスター」を、との依頼はズシッと重くのし掛かってきます。何度も原案を作っては、皆さんのご意見を伺っています。いまだにオーケーは出ません。

       

       実は、私が何よりも苦手なことは、人前に立つことです。その苦手意識はちっちゃな子どもの頃からあったようです。3〜4歳の頃、何でも話せるようになっていながら、家族以外の教会員の方の前に出ると、貝のようにピタッと口を閉じてひと言も言葉を発しなかったようです。その頃の私を知っている母は、今でも私が献身して牧師になったことが不思議なようです。そんな私が、今日も皆さんの前に立ってご奉仕が出来たことは、神様の恵と教会員の方々の寛容と忍耐のおかげと感謝しています。 

      | - | 19:46 | comments(0) | - | - | - |
      7月1日
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         今日は、7月1日。とにかく暑い一日でした。気温は、35度だったとか。数日前には、37度まで上がりましたので、それと比べるとそれほどでもないように感じますが、いえいえ十分に暑い日でした。また、新しい月の第一聖日でしたので、恒例のフェローシップの時がありました。「五つのパンの集い」という名称のフェローシップですが、一度もパンはメニューとして出て来たことはありません。いつもカレーライスです。

         

         今日も、皆さんとカレーライスを食べながら、信仰者同士の自由な「雑談」を楽しみました。その会話の中で、ある方が私に「絶好調じゃないですか。」と仰ってくださいました。実は私はこのところ「絶不調」で、説教の準備のために「七転八倒」の苦しみを味わっています。どうにかこの絶不調から抜け出したいと必死なのですが、一人静まって思い巡らす時、この絶不調こそが私らしいのかも、と自分を慰めていたのです。

         

         そんな私に「絶好調じゃないですか。」の言葉は、何と返して良いか分からない意外なものでした。もっとも、その言葉の後にその方は「声に張りがあるし・・・」と付け加えておられました。確かに、私のノドは、体調の良し悪しにかかわらず、結構大きな声が出ます。何も取り柄がない私ですが、一つぐらい取り柄があっても良いか、と感謝しています。そんな様々な思いを感じながら聖日を過ごしました。

         

         夕食の時、家内がデザートのアンデスメロンを切りながら「今日は何の日?」と尋ねました。私は、ハッと気がつきました。今日は、何十年か前に私たちが婚約した日でした。当時の国内局長A師の隣に座った私たちは、出されたマスクメロンを上品に食べなければならず、ガリガリと底まで食べられなかったのです。それで、メロンを食べる度にそのことを思い出すのです。こんな私たちが今も伝道者として奉仕できていることは、ただ神様の憐れみの故と感謝した7月1日でした。

         

         

        | - | 19:00 | comments(0) | - | - | - |
        献身したのにねぇ
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           母は、今年の4月で100歳を超えました。女学校の友人たちからは、22歳を超えては生きていない、と言われていたほど弱かったそうです。私も、子どもの頃からの母の第一印象は「病弱」というものでした。そんな母が100歳を超えるとは、本人が一番驚いているのも不思議ではありません。それも、100歳を超えていても、車イスとはいえ自分のことはほぼ自分でできるほどの元気があり、ありがたいだけでなくうらやましく思います。

           

           先日も、部屋に行くと、ベッドに座って頭を垂れてジッと動かないので、何か具合でも悪いのかと心配しながら近づくと、顔を上げて私を見つけ、「今お祈りしていたのよ。」と言いました。それを聞いた私の方が、頭が下がりました。ある時は、聖書を読みふけっていました。そんな母が口癖のように言うのが「献身したのにねぇ。」です。特に、イチゴショートケーキなどを持っていくと何度もくり返します。

           

           「献身」とは、牧師になることを意味します。母は、第二次世界大戦中に「献身」へと心が動かされて、教会に住み込みながら伝道者としての訓練を受けました。その後、戦時中にも日本で唯一政府から許可されていた神学校に入ったそうです。その当時、「献身」して牧師になることは、食べることにも事欠くほどの貧乏のどん底を味わうことを意味したようです。もっとも、母の実家は献身する前から相当の貧乏だったようですが・・・。

           

           そんな母は、今ゆったりしたキレイな部屋に住み、生活の全てに手厚い介護を受け、何の苦労もなく日々を過ごし、おまけに時々息子から差し入れのお菓子を味わっていることを、とても「贅沢」していると感じるようです。それで、オイシイとケーキを喜んで食べながら「献身したのにねぇ。」を連発しているのです。私も、母と一緒に、ここまでの神様の不思議な恵みを感謝しています。私は、ケーキは食べずに見ているだけですが。

           

           

          | - | 20:11 | comments(0) | - | - | - |
          量り売り
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             100歳の母の所に行く度に話題になることがあります。私がまだ子どもの頃の苦労話しです。もちろん苦労したのは親の方で、子どもである私はエンジョイしていたので、その頃の楽しい思い出がたくさんあります。そのうちの一つに、お醤油の量り売りがあります。我が家から歩いて2〜3分の表通りにあった酒屋さんに小瓶を持って行き、そこにお醤油を一合(今で言う180cc)量ってもらって買ってくるというお使いに良く行きました。

             

             私が持っていったお醤油の小瓶に、じょうろの先を刺し入れて、そこに差し出した一合枡にお店の一升瓶からお醤油を注ぎ入れてもらうのです。一合枡に山盛りのようにナミナミと注がれた時も嬉しいのですが、その最後の時に一升瓶からドバッと出て、一合枡からあふれ出るように注がれた時は、何とも言えない幸せな気分になりました。そのお使いの度に、今日はドバッとあふれるかな、と内心で期待しながらお使いに行ったものです。

             

             子どもの頃のそんな経験があるからか、今でもお醤油を使うとき、その使う量にチョット気を遣います。小皿にお醤油を注いで、そこにおひたしなど付けてを食べるのですが、そのとき、最後のひと箸で、自分で注いだお醤油がキレイになくなると内心で満足します。食事が終わっても小皿に醤油が残っていると、心が痛みます。それは、回転寿司などに行ったときも同じです。最後の一貫でお醤油がなくなると、何となくホッとします。

             

             今週も私はお醤油を使うときに、私は無意識的に小皿のお醤油が残らないように注ぐと思います。その習慣の背景としては、お醤油の量り売りの経験と、そこで味わったナミナミと注がれた時の喜び、ドバッとあふれるように注がれた喜びがあります。今週も、神様は私たちに恵みを注いでくださると信じます。その注ぎ方は、私のお醤油の使い方のようなものではなく、ドバッとあふれるような注ぎ方で、私たちに幸せな気分を味わわせてくださると信じます。

            | - | 20:39 | comments(0) | - | - | - |