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牧師のこーひーぶれいく

25期生
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     私は、聖宣神学院の第25期生として入学を許されました。もう46年も前のことです。男子の同期生は、私を含めて5名でした。その内の1名は他教団からの委託生で、週末は母教会に帰って奉仕をしていましたので、実質的には4名が同期生として寄宿生活を共に過ごしました。今とは全く時代も違いますから比較は出来ませんが、当時の神学院は「異様」なほど厳しい訓練の場でした。消灯時間の厳守もその一つでした。

     

     聖日の奉仕で東京近郊の教会に2〜3名で派遣されましたが、その派遣先の教会によっては夜遅くに寮に戻ることになりました。それでも消灯時間は厳守です。但し、お弁当を洗うときだけは洗面所の電灯を点けても良いことになっていました。それで遅く帰った一年生同士が助け合って(合法的に規則を破って)、一人ずつお弁当をあえて丁寧に(ゆっくり)洗い、その側で他の人がノートを確認するなどの作業をしたことを思い出します。

     

     そんな規則破りの私たち一年生でしたが、それぞれに主に召され献身し神学院に入学を許されたことはとてもうれしく感動して日々を過ごしていました。でも、私は心のうちに不安もありました。それは、自分の声が細い声で遠くまで通らないことと賛美のリードが出来ない(音程がずれる)ことに悩んでいたからです。果たしてこんな私が伝道者(説教者)として奉仕が出来るのだろうか、と真剣に考えました。その悩みは、一年生男子だけの祈り会でますます大きくなりました。

     

     授業の関係で一年生男子だけの空き時間が出来たので、小さな祈り会を何度か持ちました。我々一年生男子5名の賛美は、一人は音が高く、一人は音が低い、一人は蚊の鳴くような聞こえないほどの小さな声、一人は自分が音を外していることも分からず笑顔で歌い続け、そして私は誰でも隣の人に引きずられる・・・ある教師によると「気持ちが悪くなる」賛美とか。そんな25期生の私が、40年間も伝道者として奉仕できたのも、主のあわれみと感謝しています。

    | - | 21:43 | comments(0) | - | - | - |
    40年前
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       先週、教会員の一人がアメリカに赴任しました。今日、その留守家族がその様子を報告してくれました。大学に入る前から、海外との関わりのある仕事に就くことが「夢」と言っていた彼は、その夢が実現したのですが、やはり英語で仕事をするのは大変だと実感していると言うことです。生活面では、まだアパートが決まっていませんが、右側通行の車の運転は大分慣れてきたとのことです。また食生活でも、アメリカ産の「コシヒカリ」のごはんを炊いているとのことで安心していました。

       

       何よりも一番喜んでいるのが、LINEで毎日「無料テレビ電話」をしているとの報告を聞いたことです。アメリカとはほぼ昼夜逆転ですが、それがかえって幸いして、こちらの夕食時がアメリカの朝食時ということで、画面を通して一緒に食事をしているとのことです。その話しを聞いて40年前との違いを痛感しました。私が留学をした40年前は、航空便のやりとりが主でしたので、何かを依頼しても、返事は早くて二週間後でした。

       

       教会員の中に、私と同じ時期に留学を経験した方がいたので、40年前との違いを話し合いました。その方の思い出では、緊急の連絡が必要な時は、コレクトコール(受信者側が代金を支払う電話)で日本に連絡したが、その料金が一分千円とのことで、早口に必要なことだけを話したそうです。それが今は料金を気にしないで、ノンビリと日本とアメリカで「一緒に食事」が出来るのです。40年前とは大きく時代が変わったことを実感しました。

       

       でも私にとって40年前の留学経験は、つい昨日のように思い出します。何よりも、多くの良き信仰者に出会ったことが今も貴重な財産となっていると思います。これまでの信仰生活(牧師としても)で、いつでも「あの方のようになりたい」という目標とさせていただいた良き模範が何人もいました。もし、あの方々に出会っていなかったら今の自分はいないと思います。もっとも、その良き模範に近づいたかというと、まだまだ道半ばですが。

      | - | 20:33 | comments(0) | - | - | - |
      へそ曲がり
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         我が家に受け継がれているDNAの一つに「へそ曲がり」というものがあると思います。祖父のへそ曲がり度合いはダントツです。世間の流れにはあえて逆行し、特に、権力には断固として逆らうことを心がけていたように思います。子どもの時、電車に乗って上野に近づくといつも話しかけてきました。「ミチオくん。ここにはウエノ動物園があるけど、下の動物園はどこにあるか知っているかい?」答えは「国会議事堂」です。

         

         父も、相当なへそ曲がりでした。やはり権力や世間の流れには抵抗していました。父の場合は、特に戦争体験が影響していたと思います。牧師としての召命を受けて神学校で訓練を受けていたときに軍隊に招集されて中断し、中国に派兵されました。そこで目にした軍隊の理不尽な振る舞いや、キリスト者と言うことで自分が受けたありとあらゆる嫌がらせで、ますます権力に対するへそ曲がり度が増したようです。

         

         私は、牧師の子どもとして育ちました。その特殊な家庭環境から、それなりに同級生などから好奇の目で見られたりしてイヤガラセも受けましたが、根が純情なのでそんなにへそ曲がりには育たなかったと思います。でも、DNAの影響か、どこかにへそ曲がりな考え方があるようです。権力や体制に対する反発心も、顔や態度であからさまに表すことは控えていますが、私にもあることは認めなければなりません。

         

         今回の10連休の過ごし方に、私のへそ曲がりが影響していると思います。簡単に言うと、私はこの10連休に、特別なことは何もしませんでした。ただひたすら「普通」に過ごしました。テレビを付けると新しい年号のことが取り扱われているので、録画した音楽番組と旅行番組を観て過ごしました。多分、役所への提出書類にも、新しい年号も使わずに、あえて「主の年」を使うと思います。何とも小さなへそ曲がりですが、自分では満足しています。

        | - | 20:47 | comments(0) | - | - | - |
        ドウダンツツジ
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           4月の最終聖日、礼拝では連休の影響だと思いますがレギュラーの方で何人かのお顔を見ることが出来ませんでした。その分、帰省の方々をお迎えしてなつかしく感謝な思いを持ちながら過ごしました。午後は、毎月の第四聖日午後に開催している「三浦綾子読書会」がありました。連休の影響もあっていつもより少ない人数でしたが、変わらずに楽しい語らい、また時には頭を抱えて悩みながら真剣に語り合いました。

           

           私たちの読書会では、いま課題図書として「細川ガラシャ夫人」を取り上げています。「三日天下」で有名な明智光秀の娘玉子が、細川忠興と結婚し、その後に洗礼を受けて細川ガラシャと呼ばれるようになりました。三浦綾子さんは、明智光秀から描き始めています。明智光秀というと、今までは愚かで無謀な謀反者というイメージしか持っていませんでしたが、人間らしい生き方を追求した人物として、とても興味を抱きました。

           

           その娘である玉子・ガラシャ夫人も、戦国時代という、武力だけが物を言う男社会で人間らしい生き方を追い求めます。今日は、高山右近のことも語られました。キリシタン禁制となりながら、右近は秀吉に従うよりも神に従う道を選び、その結果として領地が没収されまた。もし私たちが右近の立場に立たされたらどうするか、と全員で考えました。出席者の一人が、もし神に従うことを選ばなかったら、同じ信仰者は失望させられたのでは、と貴重な視点を示してくださいました。

           

           私は、必ずしも右近のような決断でなくても良いのでは、という思いに傾いていましたので、その視点にとても教えられました。どんな小さな信仰でも、それぞれの立場で神様に真実であることが、自分だけのことではなく他の信仰者の励みになることを改めて覚えました。いま教会の植栽ではドウダンツツジが小さな花を無数に付けて目を楽しませてくれています。私も小さな存在ですが、他の多くの信仰者と心を合わせて、人々の心を励ます信仰者となりたいと思いました。

          | - | 19:48 | comments(0) | - | - | - |
          老いだね
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             今日は、今年のイースター聖日でした。春分の日の後の満月の次の日曜日がイースターとのこと。二日ほど前に夜空を見上げると、満月が煌々と照っていました。改めてイースターが近いことを実感しながら、今日のために備えました。長岡教会ではイースター礼拝を「召天者記念礼拝」としてご遺族にもご案内をして特別な集いとして行っています。今日も、遠く湯沢や静岡からもご遺族が集ってくださり感謝しました。

             

             長岡教会は、その発端が日露戦争に従軍した一人の青年です。その方が、召されたのが1919年とのことです。その方を初めとして、今年は90名の方々の写真を講壇に飾って記念の時を持ちました。短い礼拝メッセージの後に一人一人の写真をご紹介するのですが、今年は、手元にメモを持ってご紹介しました。一昨年までは、メモを持たずに写真を見ながらご紹介できましたが、昨年から、講壇の写真の位置をメモって、それを手にしてご紹介するようにしました。

             

             今でも写真を見ればスラスラとお名前が浮かんできます。予行演習の時は何回でも完璧にお名前を言うことが出来るのですが、イザ本番となると頭の中が真っ白になってしまい、お名前が出てこなくなったからです。それも生前親しく交流しお世話になって良く存じ上げている方ほど、フッと詰まってお名前が出てこなくなりました。それで昨年から万一の時のためにメモを持ってご紹介するようになりました。老いを感じています。

             

             先週の火曜日に、気になっていたスノータイヤの交換をすることにしました。ところが実際に交換を始めると、タイヤのナットが外れません。それで娘夫妻が交換してくれることになりました。ところが、私が手こずったナットも簡単に外れたそうです。その時、娘夫妻は期せずして声を合わせて「老いだね」と言ったそうです。お写真のメモと言い、タイヤ交換と言い、次々と私の老いを実感させられることが続きました。現実を認めなければ、と思います。

             

             

            | - | 20:22 | comments(0) | - | - | - |