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牧師のこーひーぶれいく

年会
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     今日は、年会後の第一回目の聖日でした。つまり、年会で新たな任命を受けた最初の聖日で、新鮮な気持ちと厳粛な思いをもって迎えました。今は、年会の任命式で「突然」新しい教会に任命を受けるという形態ではなくなりました。転任がある牧師には、年末から年始にかけて、つまり教会総会前に内示があるとのことです。ですから何年か前に、神学院同期の牧師が突然に転任となり、彼の全身から緊張感がにじみ出たようなことは今はないようです。

     

     それでも、任命式(年会)は今でも牧師にとって主の前に出て、新たに遣わされる任地を信仰を持って受け止める厳粛な時です。私も、任地が再度長岡とは思いながらも、新し信仰を持って「ハイッ」と返事をして、任地へと遣わされてきました。その第一回の聖日でしたので、新鮮な思いを持って今日を迎えました。ただ正直なところは、「年会疲れ」を感じて、自分も歳を取ったもの、と70歳を自覚させられました。

     

     年齢と言えば、年会で大勢の先生方に、「お元気ですか?」と優しい言葉をかけて頂きました。「ええ、おかげさまで。」と普通に答えていましたが、何人目かの先生にお声を掛けられたときに、ハタッと気が付いたことがありました。ニコニコと優しい言葉をかけてくださった先生方のほとんどは、私よりもはるかにお年を召された方々だと言うことです。むしろ私の方が、先生方に「お元気ですか?」とお声を掛けなければならないと思いました。

     

     何年か前まだ若かった私への「お元気ですか?」には、未熟な伝道者に対するねぎらいの意味が込められていたと思います。それが今は、年齢から来る健康的な課題に悩まされる日々ですので、その優しい「お元気ですか?」を、私が少し違う意味合いで感じているのでは、と思いました。それこそ私の誤解で、先生方は今も未熟な私を励ます意味で、「お元気ですか?」とお声を掛けてくださったのです。その励ましを感謝して受け取り、新しい任地での奉仕に励みたいと思います。

    | - | 20:51 | comments(0) | - | - | - |
    チマキの笹
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       私たちの教会では、毎月一回(第四聖日、午後1時半から)「三浦綾子読書会」を開催しています。開始から四年を迎えます。今は「細川ガラシャ夫人」を読み進めています。主人公のガラシャ夫人は、本能寺の変で有名な明智光秀の娘です。この本を読むまでの私の「明智光秀」像は、主君である織田信長を討ったにもかかわらず、わずか「三日天下」に終わったというマイナスのイメージだけでした。

       

       しかし、三浦綾子さんが描く明智光秀は、戦国の世にありながら、人としていかに生きるべきか、を真剣に追い求めた実に魅力的な人物です。その光秀に対して、信長は理不尽な行為をくり返します。まるで、光秀の高潔な人間性に嫉妬しているようなひどい仕打ちの連続です。その横暴な信長に対して、我慢しきれずに無謀な謀反を起こす光秀に同情を感じましたし、盟友でありながら援軍に駆け付けなかった細川家にふがいなさも感じました。

       

       長岡には、笹団子と笹チマキという名物があります。笹団子は、今では一年中店先にありますが、本来は新笹が採れる5月前後が旬です。笹チマキは、笹団子よりも家庭料理という面がありますので、今でも5月前後に良く頂きます。どちらも笹でくるまって蒸して出来上がります。笹チマキの方は、まわりの笹を剥ぐのは簡単ですが、笹団子の方は、少しコツが必要です。笹を細く裂くようにして少しずつ向くと上手くむけます。

       

       明智光秀の天下が三日で終わってしまった背景には、細川家などの支援が受けられなかったことや、秀吉や家康などの巧妙な動きがあったことは明らかです。ただ、今回の読書会で、とても興味深いエピソードが紹介されました。それは、信長を討った後の光秀が、笹をむかずにチマキを食べていたのを見た人々が、光秀の大慌てぶりを見て取り、天下人になる器でないと見限ったということです。なんとなく今年のチマキの季節が待ち遠しく感じられます。

      | - | 21:48 | comments(0) | - | - | - |
      Sさんの記念
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         今日は、暖かい陽差しの元で2月最終聖日を迎えました。今年の冬は、私自身が長岡に来て60年で初めてという程に雪が少なく、また気温も凍てつく日が少ない穏やかな冬でした。そのうえ、裏日本の冬と言えば、鉛色の厚い雲で覆われているのが当たり前なのですが、今年の冬は、晴れの日が多く、とても不思議な、そしてとても感謝な冬でした。今日も、その不思議な冬の典型のように、朝から暖かい陽差しが降り注いでいました。

         

         そんな心地良い聖日に、Sさんを記念した礼拝を持ちました。Sさんは、昨年の2月に主のもとに召された方です。長岡教会の信仰的な大黒柱のような方でした。今日の礼拝で、ご子息が短くご挨拶をいただいたのですが、その中で「母の信仰は、子どもから見ても立派な信仰でした」と仰っていました。Sさんを知っている方は、だれしもがその通りとうなずくことと思います。そのようなSさんの記念でしたので、いつも以上に緊張して聖日の朝を迎えました。

         

         今朝の礼拝メッセージとして、詩篇119篇71節の「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたのおきてを学びました。」をご紹介しました。その聖句が、Sさんの信仰を良く表していると思ったからです。真実な信仰生活を歩かれたSさんでしたが、その生涯、特に信仰者としての歩みは、また「苦しみ」の連続だったと言うことが出来ます。ご結婚当初は、集会出席も自由に出来ないところを通られました。唯一、早天祈祷会だけはご家族に気を遣わずに出席できるからと励まれました。

         

         晩年は、いくつかの病を得られて、さらに苦しみの中を通られました。今はやりの、いわゆる「繁栄の神学」で見れば、これほど理不尽なことはない、その信仰のどこかがおかしいと指摘されそうな信仰生活です。でも、Sさんはそのような苦しみの中で、生き生きと信仰生活を励み、苦しみの中にある方々の良き理解者として尊い働きをしてくださいました。その励ましで、私も牧師を辞めずに今まで保たれました。今日、改めてSさんを用いてくださった神様に感謝しました。

        | - | 20:19 | comments(0) | - | - | - |
        小さな希望の芽
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           書斎のコーヒーの木が危機的な状況です。四年程前に娘夫妻がプレゼントしてくれた植木です。コーヒーの木の青々と輝いているような葉の色が好き、と言った私の言葉を覚えていた二人が何かの時に持ってきてくれました。その時は、高さ二十センチぐらいで葉の数も十枚あるかないかの小さな木でした。私の部屋は、北と西向きですので、日がほとんど当たらず、植木にとっては気の毒な部屋です。

           

           でも背が高くなかったので二年ほど前に少し大きな植木鉢に植え替えてあげました。今では、高さが五十センチを超えるぐらいに成長し、葉の数も数え切れないほどです。この冬を乗り越えたら、もっと大きな植木鉢に植え替えてあげないとかわいそうと思っています。夢は実をならして、その実を焙煎して、「自分のコーヒー」を飲むことです。青々とした葉を楽しみながらも、大きな期待を掛けています。

           

           ところが、そのコーヒーの木がこのところグッタリしているのです。水をあげようとしてハッと気がつきました。植木鉢の受け皿に水が溜まっているのです。水が足りないのではなく、水のやり過ぎだったのです。これまでも少しションボリしている時に水をやると葉が元気になることがあったので、今度もそうかと思って何度か水をやっていました。あわてて受け皿の水を流そうと木にさわるとパラパラと葉が十数枚落ちてしまいました。

           

           すっかり葉が落ちたみすぼらしいコーヒーの木を見ながら、大きな期待を掛けすぎたと申し訳なく思っていました。もう枯れてしまうかな、とあきらめかけていましたが、良く見ると、葉が落ちてスッキリした枝の先端に、小さな新芽が顔を出していました。木の危機的な状況の中で、大きな葉は枯れ落ちたのですが、それは小さな芽を生かすためだったのです。自分を犠牲にして次の世代を生かすコーヒーの木に教えられました。

          | - | 19:54 | comments(0) | - | - | - |
          T君の初クラス
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             今日は、少しは2月らしい気温の朝でした。例年ですと、カンカンに凍てついていても不思議はないのですが、今朝はホンの少しだけ道路が凍結していただけでした。でも、スコップで氷をはがそうとするとすぐにグズグズになって寄せ集められました。この時期の氷は、スコップ思いっきり叩いても跳ね返されるほどガンコな年もあるので、今年はかわいいもの・・・と、早朝の除雪から帰ってきた家内が報告してくれました。

             

             雪も、キラキラで軽い新雪が20センチ弱積もっていましたが、道路や駐車場は消雪水でサッと解けました。関東の降雪予報や北海道の暴風雪予報と比べると、雪国の本家と自負している長岡としては、ここまでホントに穏やかな冬で感謝しています。集会に来られる方々も、どことなく穏やかな雰囲気です。例年ですと、日々の除雪作業で身体のアチコチに痛みを覚えたり疲れを感じておられるのですが、それがない分、ラクラクとした礼拝出席なのでしょう。

             

             そのような中で2月第二聖日を迎えました。実は、私は今日とても楽しみにしていることがありました。青年会のT君が、初めてバイブルクラスの奉仕を担当してくれることになっていたのです。礼拝に引き続いて持たれているバイブルクラスは、主にベテラン?の信徒の方々が教師として立てられていました。そのような中で、今年からT君が教師の一員として加わってくださり、今日がその最初の奉仕の日だったのです。

             

             実は、T君とは赤ちゃんの時からの長い付き合いで、子どもの頃から礼拝の度に良く遊んだ(遊んでもらった?)ものでした。ですから、私としてもドキドキしながら今日を迎えました。結論から言えば、とてもすばらしい奉仕で私自身とても多くを教えられ感謝しました。クラスの後、出席者のお一人は「今まで最高のクラスだった」と率直な感想を述べておられました。これからも、もっともっと教会の働きを若い方々に委ねて行こう、とさわやかな期待を抱きました。

            | - | 19:34 | comments(0) | - | - | - |