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牧師のこーひーぶれいく

心地良い疲れ
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     私は、十日ほど前から風邪で苦労させられました。9月第一週の聖日礼拝後からガラガラ声が始まりました。今までは、礼拝前はガラガラ声でも説教の奉仕をしながらだんだんと声が出始め、聖日のご奉仕が終わると回復した、ということがありました。家内は、今回もきっと大丈夫、と言って励ましてくれました。でも、今回はガラガラ声のままでした。娘から、声変わりなんじゃない、と言われるほどでした。

     

     礼拝前半の讃美では、いつものように思い切り声を出して讃美することが出来ず、フラストレーションを感じました。でも、途中で意識を変え、自分の声の高低の中で、どの高さの音が一番良く出るかを探りながら讃美しました。低い声なら少しは出るように感じましたので、まるで別人のような低音で説教を始めました。何とか次の集会までには直さなければならないと思い、次の月曜日と火曜日は体調の回復に努めました。

     

     でも、水曜日の祈り会でも、依然としてガラガラ声でした。声の変調だけでなく、体調そのものも優れず、医師からの薬を服用しながら休養して風邪を治すことに努めました。昨日の夜までは咳が続いて案じながら休みました。今朝は、咳も遠ざかり、声もほぼ回復したように感じました。主の助けを感謝しながら奉仕に臨みました。今日は、言ってみれば「フル」の聖日でした。礼拝とCSの前半司会、続いて例会、その直後に伝道会だったからです。

     

     今年の夏の期間、私は少し体調に自信が無く集会の回数を減らしました。夏を越え、いよいよ秋を迎えて、集会の回数も通常に戻しました。それで、今日はしばらくぶりの「フル」の聖日となったのです。ところが、このところの風邪で万全な体調ではありませんでしたが、声も戻ってご奉仕を(欠けだらけではありますが)全うすることが出来、心地良い疲れを覚えながら感謝しました。心地良いと言うよりも少し程度が重い(年齢にふさわしい)疲れでヘトヘトと感じましたが。

    | - | 22:15 | comments(0) | - | - | - |
    ゲッセマネのイエス様
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       昨年の今日(9月2日)、私はめったに経験しないひどい痛みを味わいました。その前日に処置を受けたときは、麻酔のおかげもあって何の痛みも感じませんでした。処置を受けていたときも、すでに麻酔が効いていることも分からずに、「いつ処置が始まるのですか?」尋ねると、看護師から「もう始まっていますよ。」と言われて驚いたほどです。終わって処置室から出て来たときも、迎えてくれた家内と娘に余裕のピースサインを出していました。

       

       午前と午後に2回の処置を受け、明くる日、つまり1年前の今日、事後の処置(前日に刺したアプリケーションを抜き取る)を受けたのです。処置の後、アプリケーションを付けたまま両足を固定されて一晩を過ごすのが一番の苦痛だと前々から言われていましたので覚悟をしていましたが、実際にはそれ程でもなく無事に一晩を過ごしました。そこまでは、聞いていた話とほぼ同じでした。実は、私たちの教会には、数年前に私と同じ処置を受けた方がおられるのです。

       

       その先輩から様々な話を伺って、それもあってこの処置を受ける決断をしました。そして、処置を受けるまで、一つ一つ経験談を伺いながら、気持ちの整理を付けて備えたのです。経験者からのアドバイスは、とても有り難いものでした。丁度、信仰生活で、信仰の導き手であるイエス様の後に従って行くような安心感です。ただ、その先輩が、全部はお話ししない方が良いでしょう、と話しておられたことは少し気になっていました。

       

       処置後の一晩も無事に過ごして、余裕で事後処置に向かいました。ところが、いざアプリケーションを抜くと、とてつもない痛みに襲われました。医師たちにも緊張が走りました。痛みにもだえ苦しむ私を見た看護師が「あらっ、こんなに冷や汗をかいて。」と顔の汗をふいてくれました。私は、必死の思いで「冷や汗ではありません。脂汗です。」と訴えました。その時、ゲッセマネのイエス様が流された血のしずくのような汗を思い浮かべました。今は、感謝な思い出です。

      | - | 19:47 | comments(0) | - | - | - |
      ホンマくん
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         高校一年の時の同級生に、ホンマくんがいました。当時の私たちの高校は、ほぼ男子校でした。私たちの学年では、500名前後の生徒数のうちで、女子は30名前後だったと思います。それでも前年よりは女子の人数が多くなったと言われていました。それでも一年生で10クラスのうち、女子が一緒のクラスは3クラスだけで、あとは全員が男子でした。私は、高校生活三年間、ずっと男子だけのクラスでした。

         

         一年生の担任は、あだ名が「スナ」でした。確か英語の教師だったと思いますが(その記憶がハッキリしない自分の記憶力の乏しさに自分でも驚いています)授業でもホームルームでも話す時、その文尾に必ず「…スナ。」と言っていたからです。そんな私たちのクラスに、長岡市の隣の見附市から通っていたホンマくんがいました。まん丸な顔に赤いほっぺのいがぐり頭のホンマくんは、今思い出すとアンパンマンそっくりです。

         

         15歳のイタズラ盛りの男の子が50名のクラスですから、何かにつけて騒動が起きました。新学期が始まってしばらくは、互いの様子を伺っていましたが、そのうちにいくつかのグループが出来ました。クラスで何かを決めなければならない時、そのグループ間でなかなか意見が合わなくて、何度もゴタゴタしました。そんな時、ホンマくんが話し始めるとクラス全員が静かに耳を傾け、その意見に従うことが多かったように記憶しています。

         

         アンパンマンのような穏やかな笑顔で話すホンマくんには、独特の説得力があったのです。でも、ホンマくんは決して「立て板に水」のような雄弁家ではありませんでした。むしろ、彼の話は途切れ途切れでした。吃音だったのです。彼の説得力は、言葉数の多さや巧みさによるのではなく、彼の穏やかな人格から来ていました。説教者として壁にぶつかり悩むとき、フッとホンマくんのことを思い出します。

         

         

         

        | - | 20:52 | comments(0) | - | - | - |
        冷や汗
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           今年の夏は、気象庁が「危険な暑さ」と警鐘を鳴らすほどのヒドイ暑さでした。予報で、明日の最高気温が33度などと見ると、あっ明日は少し暑さがラクかも、と思うほどの連日の暑さでした。そのような中でも兄姉方は真実に励んでくださり、その真実な信仰に心から敬服しました。酷暑にも負けずに励む真実な教会員の方々には申し訳なく思いましたが、8月の集会の数はグッと数を減らしました。

           

           一つには各集会に励む方々の年齢構成を考慮したからです。各集会を暑かろうが寒かろうが休まずに励む方々の多くは、70歳以上です。その年代の方々は実にハツラツとしてお元気です。夏の暑さが厳しいですから集会をお休みにしましょう、と提案するのが申し訳ないほどです。もう一つの理由としては、私の健康状態です。元気ですが今年はことさらに暑さが身体に堪えました。講壇で、何度も文字通り汗が噴き出しました。

           

           兄姉方のご理解で集会の数を減らしたことで、弱さを覚えていた私も何とか夏の厳しい暑さの中を守られて8月の半ばを過ぎることが出来ました。ホッとしていよいよ秋に向かって頑張ろうと思っていた数日前、またしてもイヤな夢を見ました。夢ですからつじつまが合わないことは当然ですが、妙にリアルな部分もありました。ある大きな集まりで、多彩なプログラムが組み込まれた集会の説教のご奉仕が任されました。

           

           説教が終わり頃に一つのプログラムが予定されていました。私は説教を中断してそのプログラムを進めました。ところが、そのプログラムが始まると聴衆が席を立って飲み物やお菓子の所に集まりました。しかも、そのお菓子や飲み物のテーブルに私の説教原稿が紛れ込んで、説教を閉じようとしている私は焦って原稿を探している・・・という所で冷や汗をかきながら目が覚めました。やっぱり自分は説教者には向いていない、と自覚させられた夢でした。

           

           

           

          | - | 18:35 | comments(0) | - | - | - |
          アイスクリーム
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             今日の礼拝では、ヘブル書12章の「イエスから目を離さないでいなさい」という聖句に心を留めました。信仰生活で陥りやすい疲れや失望の中にいる者たちへの励ましの聖句です。クリスチャンと言うと、いつもニコニコと明るいイメージがあります(そうでなければならないと思い込んでいる向きもあります)が、現実には様々な課題や困難(それもクリスチャンだからこそ悩む問題)の中を通って、もがき苦闘していることも多くあります。

             

             しかし、聖書は、そのような苦悩を味わっている者たちに、あなたの信仰がダメだからもっとガンバレ、というような叱咤激励ではなく、むしろ慰めに満ちた励ましが多く記されています。今日の聖句も、そのような意味が込められていると味わいました。もし、信仰者とは、全てが思い通りに行き順調な日々をスキップしながら過ごしている者でなければならないとしたら、それは恵みの福音ではないと思います。

             

             先日、夕食が終わってから、少し散歩をしようと思い立ちました。ただ歩くのも味気ないと思い、歩いて20分弱の孫たちの家まで歩くことにしました。往復は自信が無かったのですが、出かけるとき、家内は所用があるから迎えにいけないと言われましたが、イザとなれば娘に送ってもらえば良いと気楽に出かけました。我が家から歩いて数分の所にコンビニがあります。せっかく孫たちの顔を見に行くのならお土産を持っていこうとコンビニでアイスクリームを買いました。

             

             アイスを手にして孫たちの家に着きました。すると暗いではありませんか。留守だったのです。アイスが溶ける、家内は迎えに来られない、とあせりました。仕方なく、必死に家まで歩いて帰りました。結果としては、アイスのおかげで良いウォーキングが出来ました。私たちの信仰生活で疲れた時には、手にしたアイスの叱咤激励ではなく、私のために十字架にかかってくださったイエス様と、そこに現された神様の愛に心を励まされて、あせることなくゆっくりと歩を進めていきたいと思います。

             

            | - | 21:40 | comments(0) | - | - | - |