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牧師のこーひーぶれいく

青空
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     今日は、裏日本の冬としてはめずらしく朝から青空でした。もっとめずらしいのは、昨日、今日、明日と三日間も青空が続くことです。(但し、明日はまだ本当に青空になるかどうかは分かりません。でも少なくとも昨日と今日は青空でした。明日も気象庁の予報通りになることを願っています。)一番早く礼拝に来られた方と、しばらく青空を話題にして楽しい会話をしました。それほど、雪国の青空は貴重なのです。

     

     その後に続々と礼拝に来られた方々とも、まずは青空と日差しを話題に笑顔で挨拶をしました。車で来られた方々は異口同音に「車の中は暖かいです。」と喜んで報告してくださいました。表日本の方々にとっては、冬はいつも抜けるような青空でしょう。それが当たり前のこととして、それほどありがたみはないかも知れませんが、私たちにとって、冬の青空は何とも貴重なもので、心の中にまで明るい日差しが届いたような朝でした。

     

     このところ、私のミスで様々なハプニングがあって出席された方々にはご迷惑をおかけしてきました。今日は、順調に礼拝を越えたとホッとして帰られる方々と挨拶をしていた時、お一人の方が「先生は、いつ新しい年になるのですか?」ニコニコして話しかけてこられました。私は、すぐにその意味が分からずポカーンとしていました。すると、今日の週報の日付けが、まだ「2018年」のままだと指摘をされました。

     

     「先週から2018年のままだったので、いつになったら新年になるのかな、と思っていました。」とやさしく私のミスを教えてくださったのです。いわゆるコピペのミスです。元旦礼拝の週報は、さすがに「2019年」としましたが、その後の週報の日付けは、昨年のままだったのです。そばを通る何人かの方もニコニコしながら「私も気が付いていました」と話していました。今年も愛兄姉方の寛容と忍耐に支えらると申し訳なく思いましたが、私の心の中は「青空」が広がっていました。

    | - | 20:11 | comments(0) | - | - | - |
    お祈りに感謝
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       今日は、聖日としては本年の第一回でした。年末年始の慌ただしさも一段落して、通常の営みが始まるという新鮮な思いで礼拝を守りました。礼拝の中の小さなプログラムとして私たちは「静かな祈りの時」を持っています。静かな伴奏の中で、一人一人が神様の前にあることを意識して、心の重荷を下ろしてホッとしたり、自分の来し方を振り返って主のあわれみと赦しを祈り求めたり、そして神様からの語りかけに期待し心を開く時です。

       

       特に今日は年頭第一礼拝と言うことで、新たな踏み出しに心を向けながら静かに祈りました。これから先の日々にどのようなことが待っているか分かりません。でも、賛美歌にあるように「導きがあればどんな所へもみ手をにぎりしめ従い行きます」と勇気を持って歩き続けたいと願いました。そんな新鮮な踏み出しでしたが、私はまたまた大失敗をしてしまいました。それは、週報に間違った案内をしてしまったのです。

       

       元旦礼拝から数日経っていますので、今日が第二聖日のように勘違いをしていたのです。音楽係の方との打合せで、今日はシングスピレーションで賛美をたくさん歌うので、今日の礼拝では特別賛美は省略しましょう、ということになっていました。ところが、週報には特別賛美のプログラムを入れただけでなく、まるで今日が第二聖日のような案内を書いてしまったのです。礼拝前に、音楽係りの方と打合せをした時に初めてその間違いに気がつきました。

       

       年頭の第一礼拝にこんな失敗をするとは、先行きが思いやられると、心が重くなってしまいました。そんな私の心の中を見通したのか、司会者がお祈りの中で私のため(特に健康のためでしたが)お祈りをして下さいました。そのお祈りに心励まされて講壇に立ってご奉仕をさせて頂きました。礼拝の最後の感謝祈祷でも、今日の当務者が私のためにお祈りをして下さいました。兄姉方がどれだけ私のためにお祈りしていて下さるかを改めて覚え、感謝し励まされて新しい年に踏み出しました。

      | - | 21:12 | comments(0) | - | - | - |
      ハプニング
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         本年最終聖日礼拝を、年末年始で帰省の方々を加えてにぎやかに、そして感謝のうちに越えることが出来ました。暖冬傾向と言われた12月は、確かに全体的に穏やかに過ぎました。ただ、この二三日は、例年の二月の厳しい寒さに見舞われています。今朝も、積雪としては少ないのですが、凍結していました。礼拝前の少しの時間、玄関先の氷を砕く作業をしました。車から降りた方が足を滑らせないためです。

         

         これから3月の声を聞くまで、毎聖日の朝は雪との駆け引きが続きます。こちらが万全の備えをしている時は、雪も遠慮がちで拍子抜けすることもあります。しかし、油断していると一晩で数十センチも積もっててんてこ舞いさせられてしまいます。何とか穏やかな冬であってほしいと願っています。何しろ、こちらは年々歳を重ねてアチコチと欠けが出て来るわけですから、冬将軍にも少しは手加減して欲しいものです。

         

         年齢を感じるということで言えば、以前にも書いたように、12月2日の礼拝司会の大失態が否応なく思い出されます。特別賛美礼拝と言うことで、司会も担当したのですが、そこで途中の礼拝順序を飛ばしてしまったのです。会衆の方々にお詫びをして、飛ばした部分を特別賛美の後で取り返しました。私のその大失態が、本日発行の「からしだね36号」(長岡教会ニュースレター)に記事としてとりあげられていました。

         

         その内容が、実に温かく寛容な心に満ちていて、心がジーンとなりました。年齢と共にこれからますます失態が多くなると思いますが、そうした欠けや弱さを優しく認めて包み込んで「スマイル」してくださる愛兄姉方に感謝しました。そのような感謝な心で最終礼拝を終えた時、今日の週報のミスプリをソッと指摘されました。「一時間」と書くべき所を「一時金」と打ってしまったのです。年末にふさわしい嬉しくなるようなミスプリですね、と言われました。

        | - | 19:23 | comments(0) | - | - | - |
        デスク・ダイアリー
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           クリスマスおめでとうございます。今日は、午前の礼拝を「キャンドルライト礼拝」としました。他の集会との関係で、昨年から礼拝時にキャンドルサービスをするようにしました。感謝なことに、私たちの会堂は35年前の建設の時に、窓にロールアップの暗幕を設置してありましたので、日中でも会堂内を薄暗くすることができます。夜とは違って真っ暗とは行きませんが、それでもキャンドルライトの灯りを楽しむことができました。

           

           キャンドルサービスのプログラムは、音楽部の方々のご奉仕によって、コワイヤとソロやグループ賛美などで充実していました。実は、今年はコワイヤの男声陣が手薄なので、私も加わろうかと「ひそかに」練習をしていました。でも、実際には別の担当もあったりして、加わることができませんでした。それが良かったようで、コワイヤの合唱はとてもすばらしいものでした。私が加わっていたら皆さんの足を引っ張っていたことでしょう。

           

           これで2日のチャペルコンサートから始まった一連のクリスマス諸集会が一段落しました。一般的には、明日のクリスマス・イブがクリスマスの中心のようですが、私たちの教会は日曜日中心のスケジュールですので、明日は何もありません。まさに、今日でクリスマスが一段落したのです。すぐに頭を切り換えて、30日の最終礼拝とそのすぐ後の元旦礼拝に向けて準備をしなければなりません。今年もここまで来ることができて本当に感謝しています。

           

           数日前、東京のいとこからデスク・ダイアリーが送られてきました。いとこ(の会社)が作ったオリジナルの製品です。例年、この時期に送ってくれます。それを手にすると、いよいよ年末・年始が近いことを実感します。それで、数日前から、本格的に来年のための準備を始めました。ダイアリーを手にして来年のことを様々と思い巡らしながら、個人的には70歳を迎える年であり体力的には衰えを感じると思いますが、一日一日、ますます主の恵みに支えられ感謝する一年でありたいと願っています。

          | - | 19:50 | comments(0) | - | - | - |
          逐語霊感?
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             雪国の12月としてはめずらしく晴天の聖日でした。少し空気はひんやりとしていましたが、我々雪国の住人にとって、冬なのに乾いた道路を走る事ができるのは何よりも嬉しいことです。礼拝に来られた方々と玄関先でそんな挨拶を交わしました。長岡教会では、すでにクリスマスチャペルコンサートを開催し、先週はファミリークリスマス・愛餐祝会がありました。来週は「キャンドルサービス礼拝」が予定されています。

             

             つまり、今日はクリスマスの月ですがごく普通?の聖日の営みでした。礼拝と午後の伝道会(聖書と賛美の集い)がありました。今日は、礼拝にも司会者が立てられていましたので、私は礼拝順序を飛ばさないようにと気を遣わずに礼拝に臨みました。ただ、午後の集会では、司会も担うことになりました。と言いますのは、先月末に発行した今月の「集会プラン表」の今日の司会者のところにミスプリントがあったからです。

             

             実は、私は週報などでよくミスプリントをしてしまいます。教会員の方々も慣れたもので、間違っている箇所に疑問を抱くことも質問することもなく、ご自分たちで訂正してくださいます。ある時は、週報の日付けが間違っていて、講壇で見た時に自分でビックリしたことがありました。それでも教会員の方々は何事もないようにご自分たちで訂正してくださいました。そんな私ですから、今回の司会者のミスプリントも、名前が書かれていた方がスルーしてくださいました。

             

             でも、その場合、後任?が決まっていないと、誰も司会者が立たないことになります。結果として私が司会の任も担うことになったのです。聞くところによると、名前が載った方のお宅では、ご夫婦で悩まれたそうです。これはミスプリントではなく、牧師が「あえて」載せたのではないか?いやいや単純なミスプリントでは?その議論の結果、ミスプリントの意見が勝ったそうです。私のプリントも「逐語霊感」と受け止めてくだされば良かったのに、と複雑な思いで講壇に上がりました。

            | - | 21:19 | comments(0) | - | - | - |